同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 日本のキリスト教界の沈滞理由を問う(28) —

「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
(ヘブル10:25)

 「集会に出席する」ことは、信仰のあり方に対するよい題材です。
どんな理由で出席できなくても、長くあるいは頻繁に集会を休むと、霊性の衰えを避けることができません。
 集会に休まず出席したいですか?
やはり、このことが一番はじめに来るでしょう。意欲がなければ、何事も実行できません。
 生活のプログラムに集会出席が入っているが、何かの邪魔・・・仕事、親戚づきあい、町内会などご近所とのつきあい、学校行事、等々・・・が入ってやむを得ず休むことがある。しかし、いつのまにか休むことの方が普通の状態になり、たまに邪魔するものがなくなって集会に出席する・・という事態になりかねません。集会に出席できるか否かは、どうやってこの邪魔するものを排除するかにかかっています。
 ヒントとなる大切な事項を考えましょう。
<教会の近くに住む>
 これが極めて大切なのです。
特に若い人たち、結婚したての夫婦はなにがなんでも教会の近くに住むとよいのです。探せば、賃貸アパートが見つかるでしょう。子供が歩いて教会に行ける距離に住む、これほど大切なことはありません。そこまでできなくて、公共の乗り物を利用したり、自転車などを利用しても、すぐ教会にいける距離に住むことは強調してもしすぎることのない重要事です。
 「持ち家を買える」ということが起きてきたとき、それが電車などで長い時間をかけて教会にくるような場所であったら、断固止めるべきです。そこで、その人の信仰のあり方が問われます。遠くに住んだら、夜の集会に出なくなります。裕福な人なら、教会の近くの家、分譲マンションなどを買えばよいのです。ぎりぎりの経済の中で、ローンで家を買う、ということの方が多いでしょう。ローンに追われるなかで、一家の電車賃と、時間をかけるのはつらいことです。教会の近くにいるためになら、持ち家を棄てて、賃貸住宅に住みつづける方がいいではありませんか。
 神を第一とし、教会を愛し、集会出席を大切にすることと一致しない行動・・教会から遠くに住む・・を、どのような価値観を持っているかを問われていると気づかずに行っているのかも知れません。読者の皆さんに気づいていただきたいと思います。
 以前ある集会で、明日の子供の学校に差し支えますからと、夜の集会が終わらないうちに帰っていった一家がありました。その方はきっと教会から遠くに住んでいるに違いありません。