同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 更に豊かな救いを求めましょう —

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16)
「(イエスは)こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。」(ルカ24:47)
「(あなたがたは)・・・いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」(使徒3:15)

 イエスがこの世に来られた目的は、私たちに「永遠のいのち」を与えるためでした。「与えなければならない」ということは、生まれつきの人は、それを持っていないことを示しています。
 人が永遠のいのちを与えていただくためには、それ相応の過程を経ることが必要であることは、先入観を持たずに聖書を読むならば、それを当然のこととして読み取るでしょう。
 イエスの誕生に先立って、イエスがこの世においでになる目的が知らされました。それは「罪からの救い(赦し)」を与えるためであると告げられています。
 バプテスマのヨハネも、イエスご自身も、その宣教の真っ先に語られたことは、「悔い改めなさい」でした。この悔い改めは、<罪の赦しを得させる>「悔い改め」でした。
ヨハネの福音書3:16節の「永遠のいのち」に先立って、ニコデモにイエスが告げられていることばが紹介されています。
人は「新しく生まれなければ」神の国に入れない、すなわち永遠のいのちに生きることができないということです。
 教会の門を叩いた人、子どもの時から教会の中で育ったひとは、「罪の赦し」も「新しく生まれること(新生)」もことばとしては知っているでしょう。クリスマスの節季に、それを本当に自分の身の上に実現して頂けますように。
 信仰生活を長くすると、「罪の赦し」にも「新しいいのち」にも、受けているものがほんの僅かであったり、豊かであったりする、「量」の問題があることに気づきます。それを豊かにいただくクリスマスでありますように。