同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 日本のキリスト教界の沈滞理由を問う(20) —

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:1-4)

 教会にはいのちがあり、救いの恵みに与った人々が教会の信者であることを当然として、この論をはじめました。そして、前回列記した項目、
・神がお与えになったもの、すなわち広い意味での「救い」を本当に頂いているか。
これには聖霊の働きが非常に重要であること。
・「なすべきこと」を与えられてその遂行に努めているか、ということ。
・・・
の中の2番目に挙げた、「なすべきこと」が理解されず、本当に力を入れて取り組まなければならない課題が置き去りにされているのではないか? と論じてきました。

 教会にはいのちがあり、救いの恵みがあるというその最初の前提が、成り立たない人々の事例をあげてみて、このことが深刻な問題であることに気づかさせられます。
 教会にいのちがないとは、神の前には以下のような光景です。
「死人が講壇に立ち、死人が会衆席に並ぶ。死人である説教者は、いのちのない、死のことばを説教する。」
この死人は、イエスが弟子のひとりに言われた「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」(マタイ8:22)と言われたものです。
 日本のキリスト教会に、牧師も信徒も救いを知らない教会が、どうしてこんなにも増えてしまったのか、考えさせられます。それで、まずパゼット・ウィルクスがその著書「救霊の動力」に掲載した、金森通倫(みちとも)の証しを引用しましょう。
金森通倫は、新島襄から洗礼を受けた、新島襄の直弟子です。パゼット・ウィルクスはこの証しを掲載するに当たって次のようにコメントしています。

「伝道地において出会う最大の敵の一つは高等批評と称するものである。その害毒はただ牧師たちの間に見られるだけでなく、一般信者にも及んでいる。わたしは若い伝道者たちに熱誠をもって懇請する。もしあなたが救霊者となることを願うなら、これに触れてはいけない。このことについては多くの実例を持ち出すことができる。しかし今はその代表的な実例として、金森氏の自ら語るところを聞くことにしよう。」
 「忘れもしない一八七六年一月三十日、美しい安息日の朝、有名な熊本バンドは生まれた。その朝花岡山に登ったのはちょうど四十名であった。『北の果てなる氷の山』(英文)の讃美歌を歌い、聖書を読んだ後、当時十八歳のわたしは献身の祈りをささげ、それによって一同、神への奉仕に身を献げた。我らの最後の歌は『われ十字架を取りすべてを捨ててイエスに従う』というのであった。それはわれらにとっては文字通りの告白であった。その時まで一同かなり野心を抱いていた。わたし自身も島国なる日本の将来の必要を思い大造船家となることを期していた。他の者もその家柄の手づるによって高位高官になろうと志していた。ゆえに我らは事実上いっさいを捨てたのである。
 このことを聞き知った家族からはさっそく激しい迫害が起こってきた。ひとりの青年のごときは百日間家に閉じ込められ、その他の者もそれぞれさまざまな方法で迫害された。わたし自身も多くの迫害の末に家督の権を奪われ、着の身着のまま、ただ二冊の本を手にして家を追い出されてしまった。二冊の書とは聖書と天路歴程であった。そのころ笑いながら、いっさいを失ってもなお悪魔と戦うために大小の剣を携えていると言ったものである。
 しかし神は我らの知らない間に避け所を備えて下さった。有名な新島氏はアメリカより帰られ、京都で学校を開かれたばかりのところで、その学校に入学することができた。十三名の者は神学部に入った。三年の後、学校を出て岡山で教会を開き、そこで七年間牧師をした。その間に恩師新島博士が病気となられたので、わたしはその補助者として呼び帰され、恩師をいたわりつつ校長代理を務めた。
 その後わたしの流浪の生涯は始まったのである。その当時、新神学と高等批評というものに接触するようになった。その書の中には翻訳を通して多くの人々を毒したようなものもある。日本の高等批評についてはわたしに大きな責任がある。初めのほどはかなり手ひどい反対もあった。中には握手もしないと言った友人もいた。しかしわたしは何も構わず、むしろ誇りをもって進み、ついに信仰は全く覆されてしまったのである。徹底的な批評はわたしから聖書を奪い去り、わたしの救い主に対しても新しい見方をするようになった。もはや心には信仰なく、くちびるには使命の言葉がなくなってしまった。ほどなく新島師は亡くなり、わたしもまた学校を去り世俗のわざに携わることとなった。
 時は政界改革の時であり、国家多事の際であったので、その中に飛び込み社会改革者のひとりになった。以来十五年間、わたしは政界の嘱託として一般民衆に勤倹貯蓄の道を教えて歩いた。このためにわたしは日本国中を幾度となく旅行し、毎日幾千の人々に語った。会衆はどんな大きな建物でもなお入りきれぬほどであった。群衆は非常な興味をもってわたしの言葉を聞いた。この世の側から言えば、それは大いなる成功であった。大きな収入、その地位、その名声、その人気は大したもので、強いて贈り物を押しつけられるほどであった。しかし精神的に言えば、わたしにとって最暗黒の時代であった。心に平安なく、何をしても少しの満足もなかった。この成功の絶頂において神の御手はわたしの上に加えられ、突然愛する妻を奪われた。わたしはどこに慰めを求めてよいか当惑した。そのうちにたちまちのようにわたしの家庭に光が照り出した。それは、子どもたちが単純に『ママは神さまのところに行った』と信じて語り合っている言葉であった。その子供らしい、しかも確かな子どもたちの信仰の言葉を用いて、神はもう一度真理に引き返して下さったのである。帰ってみれば、それは救い主と神の言葉とに対する最初の信仰にほかならなかった。聖書はもはや疑うことができない。キリストは神に満てる人と言わず、トマスとともに『わが主よ、わが神よ』と言うようになった。こうしてもう一度、人の心を満足させる神の子の栄光ある福音に使命をもつようになった‥‥‥。」。
http://sacellum-chimistae.org/掲載の「救霊の動力」から引用)

 パゼット・ウィルクスは高等批評とだけ言っていますが、現在、「自由主義神学」と呼ばれているものと、「新正統主義神学」と呼ばれているものに大別できます。
大まかに言うと以下のようなものです。
 自由主義とは、人本主義の産物であって、聖書を人間の書として神の権威を完全に棄て、進化論をはじめ自然科学と呼ばれるものを宗教の領域すべてに、それを正しいものとしてあてはめます。ですから、いっさいの奇跡を信じません。聖書はフィクション(作り話)の固まりであるとします。高等批評と称して聖書の内容を批判します。
 新正統主義は、自由主義に反対する人々によって、少し修正されたものと言えるでしょう。バルト、ブルンナー、ブルトマン、等々の著名な人物たちがいて、真のキリスト教をほとんど塗りつぶしてしまうほどの勢力を得ました。神の存在を認め、聖書は人間の書であるが、神が働きなさるときそれは神の書である、とします。自由主義と同じく高等批評なるものを受け入れます。
 大切なことは、これらはみなキリスト教の衣を着て、聖書とキリスト教を論じていますが、中身は人間の哲学であって、神はその中におられません。メイチェンの言う通り「これはキリスト教ではない」のです。ですからこれを信じている人々は、イエス・キリストの救いと完全に無関係なのです。けれども、人間の学問としては優れた部分があります。ですから真のキリスト教にとって一層深刻な敵です。もし優れた点がなかったなら、世界中の真のキリスト教を飲み込んでしまうほどにはなるはずがありません。
 教会は、救われている人と、救いを求めている--まだ救われていない人--の集団であることは当然です。けれども、その教会に集まるすべてのひとが救われていない事態はどうしたら起こるでしょうか。それは牧師が救われていない場合です。
 救われていない牧師が世に送り出されることは、どうして起きるでしょう。それは神学校の教師がそのように教えるからです。ですから神学校の教師の責任は神の前に重大です。 パゼット・ウィルクスの勧めているとおり、私たちはこれから離れていなければなりません。

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