同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

ケガをして教えられたこと

石井 和幸

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」
(Ⅱコリント 4:7)

 先月の同労者にも書きましたが、家内が腕を骨折してちょうど一ヵ月くらいたったある日、仕事中転倒して、左ひざを強くうち、怪我をしてしまいました。幸い骨には異常がなかったのですが、二週間位足を曲げることが出来ず、松葉杖を使用しながらの生活でありました。なすべきことが普通に出来ず、医者からも診察の度に『その重い全体重が左ひざにのしかかったんだね』と言われ、悔しく情けなく、また歯がゆい思いをしました。
 怪我をしてからしばらくたって、先に腕のリハビリを行っていた家内から、「やっぱりリハビリは必要になるよ」と言われ、医者からも間もなくリハビリの指導を受けました。松葉杖は外れたものの、曲げることが出来なかった膝の筋肉は細り、細った脚の筋肉、それもただでさえ鍛えていない膝の下にそれこそ全体重がのしかかる・・・という事態。リハビリをしながらも(回復は与えられておりますが)、まだ膝に違和感、弱さを感じています。私は、“体の器官で使わないところが出てくると、そこは弱まって行く”現実を痛感しました。
 それは、普段の信仰生活全般に言えることで、信仰の筋肉を鍛える聖書通読が止まれば霊性が弱まり、また、子どもを愛すること、しつけることがなおざりになれば、その結果は明らかになっていくことを改めて教えられました。 
 もう一つ、ケガをして改めて教えられたことは、月日、時間は何も出来ないうちにあっというまに過ぎていくということでした。2カ月、3カ月といった期間に子どもはどんどん大きくなりました。 長女は、私が自分で靴下を脱いだり、履いたりすることが痛くてできない時期に、率先して手伝ってくれました。『お父さん、私に何か手伝えることがあったら言って!まみはお祈りしてるからね!』と、常に私に声を掛けてくれました。2歳半の長男は、『お父さん、どっちの足が痛いの?』と私に確認をした後、『怪獣だ!ガォー』と言って私の痛い方の足に敢えて飛びついたりということもしました。親がどういう状況になっているか、どんな気持ち、どんな表情をしているか、他の家族が私とどう生きているか、関心をもち、影響を受けていることが改めて分かりました。
 今回のケガを通して、私のような欠けが多い土の器にも、神はそのわざを託してくださっていることを痛感しました。 健康で、問題なく動けるときに、自分のしたいことを優先して、やるべきことを行わないまま夜を迎えてしまうのではなく、なお神の前にへりくだって、神と人に仕える者でありたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)