同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~新たなスタートの切り方~

石井 和幸

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
(マタイ7:13,14)
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」
(ルカ13:24)

 読者の皆様、今年もよろしくお願い致します。

 昨年末に、私たちの教会に属する若い兄姉が婚約され、教会一同で喜びをともにしました。兄弟は、こんな婚約の証をしました。「このことは神から出たこととして受け入れ、婚約をしました。これから姉妹と交際をスタートさせます。」
 普通は交際をした結果、結婚の決意をし、婚約をするように思われますが、私はそれで良いと思いました。お二人はこのことを、「神からでたこと」と確信していました。その確信があれば、お互い信仰生活を教会でともにしていたのですから、これからも、結婚に至るまでも、その後の家庭建設も、常に神の介入を引き続き仰いで歩まれることでしょう。
 私たち夫婦も、同様に結婚の導きが神によって成され、それからずっと、いまも尚、変わらずに神の介入、牧会をうけて日々成長が与えられていることを改めて感謝しました。ある年の結婚記念日の際、主任牧師が「まことに、神によって成された結婚でありました。互いの愛を育むというのはそれからでありましたが・・・」と祈られたことがありました。私たち夫婦はそれ聞いて「本当にそうだったね」とうなずきました。主の導きと憐みによって、結婚当初イメージしていたよりも何倍もの恵みが与えられていることを、7年経った今もなお実感することができ、大変感謝しております。
 昨年12月24日、家内の父が天に召されました。私は、義父が私に言った一言を忘れることができません。「君たちの結婚式はとても感謝だったけど、私はあなたと初めてお会いしたときがもっと嬉しかったよ。ヤッター!神様ありがとう!と感謝したんだよ」・・・私が家内と交際をする前の出来事でした。義父と義母はまだ私がどういう人間なのか、果たして自分の娘の結婚相手として相応しいのかを深く探る前に、信仰をもって神の前に喜んでくださいました。やがて孫である、私たちの二人の子どもを心から愛してくださいました。
 私と家内は、キリスト者学生会の交わりを通して大学生のときから知っている仲でありました。それほど頻繁に会う機会があったわけではありませんでしたが、結婚への導きは誰かに強制された信仰ではなく、互いに祈っていた事実があります。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)ということを神の真実として捉えた先生方、互いの両親、信仰の先輩方が、私たちの背中を押してくださった事実を今も忘れることができません。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)