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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—46

 2014年、私たちの教会では多くの恵みと祝福が与えられました。若い方々の救い、婚約式と驚くばかりの御業でありました。その背後には、毎週ご講壇より牧師先生を通して語られるメッセージ、各集会においてもお証がなされたり、そのメッセージに対してそれぞれがどのように応答していくか、行動に移していくかが問われたことであります。
 続けられております「聖書を学ぶ会」におきまして牧師先生は、より一人一人に近く必要を語ってくださっています。
 ヨシュア記19章が開かれ集会が進められて行きました。「18章から始まった割り当て、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前でくじによってなされた。割り当て地の良い所を取れるようになったのは王国が確立し強くなった時であり、それまでは先住民を残しつつ共存していた。実際に勝ち取っていかなければならないのは自分たち。信仰が世にあって勝利していく。単純に地所を手に入れるということではなく。」と語られました。
 今回は森田初実姉妹から「私たちの生活はすべて神のフィルターを通してなされていると以前お聞きしましたが世の人の言ったことばも自分に当てはめていくべきなのでしょうか?」という質問がなされました。
 それに対し先生は「隣人の近さによって順番も変わってきます。フィルターはすべて神がそれを許しておられるということです。受け入れやすいことはそれで良いが、受け入れられないことが出てきた時に、こんなことまで?それが問題になります。神がお許しになったことを受け入れられないという事実の前に自分をどのようにしていくか、自分だけの問題ではなく一番そばに生きている者たちの育成にも関わってきます。自分でも自分をコントロールできないならば隣人をコントロールなどできない。操ったなら操ったという事実しかない、相手が愛をもってそのことをしてくれるか。自分のものにできて初めて他の人格に触れることができる。なぜできないんだろうという時はそこが問われているかもしれません。なんともならないところをジリジリと信じて進めていく、これが信仰の世界。肝心なところは神を信じるということ、認めて生きるということがゴールでありスペシャル。若い時に信じても迷宮に入って行ってしまう、世の中と混ぜこぜになってしまう。クリアにできないことをどうクリアしていくことができるかは、個人の悟りです。」と語られました。
 新しい年もこの集会を大切にし、自分自身の霊的糧にさせていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)