同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~娘と東京に行きました~

石井 和幸

「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」
(Ⅱコリント15:58)

 9月21日~23日まで、東京にてキリスト者学生会(KGK)卒業生全国集会(略称 GNC)が、「一生ものの財産~交わり・祈り・みことば~」というテーマで行われました。KGKとしては14年ぶりに行われるOB対象の全国集会で、子ども22名を含む延べ300名ほどの参加があったとのことです。私は、長女と一緒に、22日から23日まで参加しました。当初、GNCの企画を知りその案内がなされたとき、私はほとんど関心がありませんでした。 私個人のことのみを考えれば、ここまで年齢を重ねれば特に行きたいとは思わないし、9月22日は平日であり、今の状況では平日に仕事を休むことは無理に近い・・・と思いました。

 今年の4月頃でしょうか、家庭集会にて、主任牧師より、牧師の長男である山本 守兄が幼稚園の年長だったころ、父親と2人だけで2泊3日の教役者会に参加したことを、20歳を過ぎた今でも鮮明に覚えていて、良き思い出となっていることを語ってくださいました。その際、私もかつて、妹が生まれて間もない小学校一年生のころに、父と2人だけで新年聖会に参加したことを思い出しました。聖会のときはいつも家族で、東京の教会に所属する信者さんのご家庭に泊まるのに、その時はじめて東京のビジネスホテルに泊まったこと、空き時間に交通博物館へ父と行き、私が迷子になったことを思い出しました。東京に行く数ヶ月前から、父は東京のガイドブックを私と一緒に読んだ・・・ということも思い出しました。

 さて、6月になり、私が勤める会社に新しく入社した従業員が、営業マンの経験がある方であったため、私のアシスタントをしてくださることになり、私になんとか平日休みを取れる目途がつきました。家内はGNCに対し、「長女と同じくらいの年齢の、教会に通うクリスチャンの子弟、お友達に出会うことは、大きな意義がある」として参加に賛成しました。KGKの卒業生集会が、聖書信仰に立ち、信仰継承に関する取り組みに重点を置き、家族で参加する人たちへのケアがしっかりしていることも、参加に賛成した理由でありました。私は主任牧師に、「私もぜひ、娘をGNCという聖会に参加させたい、そして東京で楽しく過ごす時間を与えられたいがどう思われますか?」と伺ったところ、先生は「やってみたらいいのではないでしょうか?但し、真実さんは特に体力的に引きずる子どもだから、その点はよく注意するように」と答えてくださいました。 妻と息子は諸事情で参加を見送りましたが、娘には8月の末ごろ、「9月のいつになるかはまだ言えないが、お父さんと東京の集会にでよう。昨年KGKのキャンプであった東京のお友達に会おう。空いている時間に遊びにいくけど、どこにいこうか?」と聞くと、娘は迷わず「遊園地!」と答え、その時を楽しみにするようになりました。
 しかし、目の前で雷が落ちた出来事を境に、娘は「雷」を非常に怖がるようになりました。空に黒い雲がかかると身震いし、「お出かけする」と言っても、「近場がいい、近くの公園でいい」と言うようになりました。東京の話になると、「もし、東京で雷がなって、台風がきたらどうするの?」という質問を繰り返すようになりました。私は、「おとうさんが一緒だよ。東京にいくことが守られるように、神様にお祈りしようね」と答えつづけました。 9月19日(金)の夜、私は娘に、「月曜日の朝、新幹線で東京にいく」旨を正式に伝えました。すると、娘は東京の天気予報を毎日聞いて、「東京で雷がきませんように、天気が良くなりますように」とお祈りをしました。当日の朝は快晴!娘は5時に目を覚ましました。普段はわりと遅く起きるほうなのですが、遠足や教会のキャンプ等、楽しみなことがある日、娘は早く起きます。私の子ども時代とそっくりです。私たちは、当初の予定よりだいぶ早い6時30分発の新幹線に乗りました。新幹線の車中娘はほとんど一睡もしませんでした。新幹線のなかで、神が娘の小さな祈りに答えて、晴れた天気にしてくださったことを娘は感謝していました。上野を過ぎると娘は、「お父さん、つぎ東京だよ!早く降りる準備して!」と言います。実は私も子どもの頃、特急ひばりに父と乗って、大宮を過ぎるとすぐ「お父さん、つぎ上野だよ!!早く荷物おろして!」とせかしました。そういうところもやはり親子だなと実感しました。
 東京の会場に着き、私は午前中集会に参加してメッセージを聞き、その間娘はベビーシッターと多くのお友達に囲まれて楽しいときを過ごしたそうです。

 講壇から語られたメッセージは、ハガイ書の講解でありました。「自分のことで、自分の生活で精一杯」となりがちな卒業生に対し、神とともに歩み、神の憐みをうけて神が住みたもう宮を建てることが語られました。イスラエルの第二神殿は、4世代もの月日を越えた中そこに困難と労苦が費やされて完成したこと、ソロモンのときの神殿と比べるととても似つかない貧相なものでしたがイエス・キリストが「私の父の家」と呼ばれたこと、国からの援助がない中ただ神に対する誇りと信仰によって建て上げなければならなかったこと等が語られ「3世代、4世代と信仰を継承していきましょう、GNCに来てくれた子どもたち、彼らが信仰を継ぐんです。ここで終わりにしてはならないのです。」と訴えがなされました。神のわざをなす労苦に、神がともにいてくださり、救いのみわざを達成するために、聖霊がいつも働かれていること、私たちの一生そのものが、神の栄光をあらわすために、それぞれ遣わされた地にて神のために献げられる人生を、神ご自身が私たちに期待しておられることが、メッセージされました。そして、講師は最後に、「祝福を祈ります。」と言って、しばらくの沈黙。自分の弱さを挙げ、しかし、そのような者をも、主が必要としてくださっている感謝を祈りました。

 午後からは娘と山手線、都電を乗り継いで遊園地に向かいました。娘は、眠い目をこすりながらも、遊園地を楽しみに電車のなかで一睡もしませんでした。遊園地は、ミニ動物園が併設されていて、娘は大満足でした。夕方、会場への最寄駅から、2年ぶりくらいに娘を肩車して、「前に肩車してお父さんと話したのは、山形で教会のみんなと音楽の合宿をしたときだったかもね?」「お父さん、覚えてるよ!」・・・そんな話をしながら、2人で東京の夕暮れを味わいました。

 夜の集会は、私が壇上にあがることになっていました。そのため、夕食で同席した関西地区のT兄ご家族が、集会の前半を娘と同席してくださることになりました。T兄は奥様と3人のお子さんを連れてGNCに参加しており、娘と同い年のお子さんと、娘が良き交わりを与えられていました。奥様であるT姉妹が、娘の髪をヘアピンで整え、集会前の体制を整えてくださいました。そして、T兄は関西地区の紹介を、私は東北地区の紹介を壇上で行い、娘はTさんのお子さんたちとともに、父親の壇上での姿を客席にてしっかり見ていたそうで、とても感謝いたしました。その後、もう8時前には娘はぐすっり眠りにつきました・・・ベットの上で、時折笑いながら楽しい夢を見ていたようでした。

 翌朝、娘は5時半に目を覚ましたのですが、前日の無理がたたって発熱していました。6時過ぎて、スタッフに連絡すると早朝にも関わらず、KGKの主事とスタッフが部屋にきて、娘に手を置いて祈って下さいました。そして救急病院に向かうことになり、スタッフの方が部屋の片づけや会場を出る手配、フォローをしてくださり、私たちは病院からそのまま東京駅に直行し、新幹線で仙台に帰りました。(デング熱ではありませんでした)

 私自身、娘と2人で泊まりがけの旅行をするのは、彼女が3歳になったばかりの頃に、同じKGKの集会で山形に行ったとき以来です。その時も実は、1日目娘がはしゃぎすぎて2日目早々に引き揚げたのですが、娘の気持ちと、体調管理を調整することにまたもや失敗をしてしまいました。主任牧師からの忠告を前に、もっとああすれば、こうすれば良かった・・・と思います。しかし神の憐みゆえに、新しい出会いがあり、いつもとは違った場所で主にある同労者と神からのメッセージを受け取ること、子どもが昨年会った友だちと再会し新しい友だちが与えられたこと、夜の集会をそのご家族と同席したこと、そして、娘のために祈ってくださった方が多くいらっしゃったこと、神が、娘の祈りに答えてくださったこと。イエスキリストの十字架のゆえに、神に憐みをうける特権を、主なる神が与えてくださっていることを再発見し、感謝したひとときでありました。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」
(ヨハネ1:12,13)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)