同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

やっぱり剣道大会は教会行事

石井 和幸

「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」
(Ⅱコリント9:8)

 家内が腕を骨折して1ヵ月ちょっと経過した6月17日、私は仕事中に転倒して膝を怪我してしまいました。松葉杖をついて迎えた聖日(6月22日)の午後は、教会の剣道大会でありました。ここ2年は、私は剣道大会にて家内との夫婦対決をしていましたが、今回は夫婦そろって剣道をすることができず、とても残念でありました。実は他にも怪我や体の不調等で剣道ができず見学にまわる人が数名いらっしゃると聞き、私は正直、今回の剣道大会は盛り上がるのだろうか?本音を言えば私は休んでいたい・・・という思いを抱きました。けれども、剣道大会を終えて主催者の一人である父が第一声に「いやー楽しかった!盛り上がったねえ!」と言うくらい、神に祝福された楽しいときとなりました。
 同労者2012年11月号にて、私は「剣道大会は教会行事」と題して当時行われた私たちの教会での剣道大会を分析しました。・・・「剣道経験者、有段者」は、決して自己満足を求めず、教会全体が楽しめるように仕えていること、「剣道を教えてもらう人、初心者」は、経験者、指導者に敬意を払って、茶化さないように意識していること、そして見学、応援をする「取り巻き」が、心おどらせながら隣人が剣道をしている姿を見て楽しみ、喜んでいる・・・剣道大会を通して教会全体が、みんなで喜びをともにする「神の家族」となっていることを証しさせていただきました。
 教会剣道大会は今回で第6回になります。私は図らずも初めて「取り巻き」という立場になりました。妻も、子どもたちも剣道をするわけではない。ある意味「教会の兄弟姉妹が剣道をやるから」家族で見にきている・・・という状況です。当日、自分が剣道をできない、満足に仕えることが出来ない悔しさと、そうなら本当は隅っこでおとなしくしていたい気持ちで悶々としつつ、体育館に足をふみいれたとき、私は皆さんが楽しそうに参加し、喜んで仕え合い、そして「取り巻き」の方々も、喜んでそこに徹している姿を見て、心が打たれました。そして、(この空気、熱気、雰囲気は何なのだろう・・・)と改めて考えさせられました。
  教会の方々は、「教会でともに生きる兄弟姉妹」の存在・人格・魂そのものを愛するがゆえに、「取り巻き」という立場におかれたとしても喜んで教会行事に参加されていました。若い姉妹が時計係、呼び出し係を担当し、剣道をしている様子を時折ケラケラ笑いながら見ている姿は私の心に響きました。若い姉妹でさえ「今回の剣道大会は、自分にとってなんの利益もない」と勝手に宣言しないで、損得ではなく、神にある純粋な喜び、「神の家族」という信仰をもって剣道大会に参加されている姿を見させていただきました。
 振り返ると、私自身、教会をとおして、キリストの真実と愛をうけて救われ、ここまで生かされてきたことを覚えます。私に接してくださった先生方や兄弟姉妹は決して損得で関わろうとしませんでした。私が、今回剣道大会で「取り巻き」という立場になり、教会の素晴らしさを実感したように、子どもたちもまた教会のなかで共に生き、神の真実にふれ、悟ることができるように、なお祈りつつ歩んでいきたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)