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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—34

  12月、クリスマスを迎え多くの集会がある中ではありましたが、変わりなくみことばに仕える時を与えていただきましたことを感謝いたします。ヨシュア記7章が開かれました。
 エリコの戦いの後の問題、どのような基準でなされているか、神の業、線引きは難しい。神の大きな事業を始めるにあたっての入口であり、どのように進めて行くことができるか。イスラエルには神がおられ神が豊かにそのことをして下さるんだということを信じて進めて行くことができるか。七日かかってエリコ占領、エリコのものはすべて神のもの、聖絶しなければならない、残すとイスラエルにわざわいをもたらすと神は厳しくしているにもかかわらずアカンの問題は人間の弱さ、恐さを露呈している。一つ一つを通して神を信じて進んで行くということがどういうことか、知っているということとやれるということは違う。そこに神の恵みと憐れみがあることを知っているだけでは神を表すことはできない、実際に会得していかなければならない。厳しさはなさなければならない業の重要さによって違う、本来負けてはいけない戦いに負けた。アイの敗戦、あまりにうろたえ影響を与えている、アカンの問題の大きさ、裁かれなければならない。きちんとしていかないと取り返しがつかない。今後なしていかなければならない業が書かれている。自分だけでなく関係しているところに注意を払っていかなければならない。彼らはその後ひとつひとつ乗り越えていき本来の全体での戦いは見事に全線全勝をしていった。と語られました。

 齊藤栄姉から「礼拝のメッセージの中で『勝利の神』ということが語られていましたが、敗北ということも踏まえてもう少し詳しくお願いします。」とありました。

 それに対して先生は、「敗北もありそれで終わりということもあるし、それを次にどう繋いでいくかということもある。負けても負け方がある、敗北を認める、それができるから勝利していける。だから勝利し利潤が生まれる、利潤がもたらされなければ敗者、私たちはどう捉えていくか、勝利のために。人としてキリストが来てくださった、神が義さをこれ見よに出したのではなくキリストは罪はおかさなかった。なぜ負けたのか、思惑通りでなく外れた時、何が違ったのか牧会者に尋ねることが大切。どういうふうにしたなら勝利していくことできるか、神を信じてひとつひとつどう神を現していけるか、そうでないと自分自分となっていく。神の勝利に自分も加わっていくことができるように、負け続けると負けのスパイラルに入っていく。どうしたら勝てるかを会得していく、ツボ、勘所のようなものも。子供を集会中静かにさせることも勝利、勝利する法則がある。商売している人も勝ち組と呼ばれる人がいる。これをゴールにしよう、勝利しようとしているとそれらと結びつけていくことができる。神の働きもどのように勝利していくことができるか。」と語られました。

 若い方々の積極的な集会への姿勢がありました、新しい年もそれぞれの歩みの中に主がともに歩んで下さることを願いつつ。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)