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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—36

  2月の聖書を学ぶ会、大雪の後の出にくい時ではありましたが、いつもと変わりなく共に集まりメッセージに耳を傾ける時が与えられましたことを感謝いたします。

 ヨシュア記9章が開かれました。イスラエルはエリコとアイを攻めてきた、北と南に分断しようと。神はなさる業一つ一つに意義を持ち一つ一つを通して私たちを育て育んで下さる。神はいつもそのようにして下さる。私たちはそれに対してそのことをどう受け取っていくか。信仰者として階段を上がっていく、熟練していく。カナン占領は単純に攻め取れば良いだけではなく主の御名が遍く知れ渡るようになることがあった。ギブオンの人々は存亡をかけてやってきた、イスラエルは神の民であるとして安易に策もなくいたのに対し敵は命がけで策を練りやって来た。神の訓練、失敗をどのように回避しながら次はどうしていくのか。滅ぼせなかったゆえに後々カナン人を残すことになる。ヨシュア記9章14節、主の指示をあおがなかった、モーセは一つ一つ神に伺った。そのようにしなかったならイスラエルの存亡が危ぶまれたゆえに。ヨシュアも民もまだ未熟であった。失敗と言われるようなこと、欠落ということがあってもその問題にどのように対処していくか。ギブオンに対してはイスラエルに組み込まれているということを知らせながらなして行った。ギブオンの町、サウル王の次のダビデの時代、存亡が図られている。それは主の家で宮の近くで水汲みをし薪割りをしていた。主の家、宮近くにいることによってその恩恵に与り守られている。罪赦された罪人にすぎない私たちも喜んで神の宮で仕えて行きたいと語ってくださいました。

 玉城義兄から「礼拝のメッセージの中で人間の持つ弱さと自分の持つ弱さ、足らなさは違うと語られていましたが具体的にどういうことでしょうか」と質問がありました。
 それに対して先生は人間の限界、万全を尽くしても起こってくる失敗、人に過ぎないということと自分の弱さ、短所などをきちんと分けて考えないと自分はそういうものだと開き直ってしまう。弱さは克服していかなければならない、逃げてはいけない、克服していく取り組みをしていかないと起きてくる様々な問題に対処していくことができなくなる。またそれを克服していくと傲慢になり神を要らないといい、わかることは高々自分のできることはこれくらいなんだなと、線引きの大切な部分。最善を尽くしてそのことをなしていく、ピーンと張り詰めていてはいけない、だから子育ては夫婦両方でする。侮ってはいけない、親としての責任、欠落した部分は必ず出てくる。神の前に不真実でない自分があるならば良いがそれでも足らないというところを神が覆って下さる。適当にやっている人はすべて適当にやっているので何ができて、何ができなかったのかということもわからなくなってしまう。自分のできること、できないことをきちんと整えていく。全ての営みの中にアンテナを張り巡らす力を身につけなければならない。本当の自分の中にある弱さをあぶり出していかなければならないと語ってくださいました。

 語られている大切なメッセージをそれぞれがどう捉え取り組んでいくかが問われる時でありました。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)