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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—37

 年度変わりのあわただしい時ではありましたが変わりなく多くの方々が集まり、語られるメッセージに耳を傾けることができましたことを感謝いたします。

 ヨシュア記10章が開かれました。「エリコから西に行き南の連合軍と戦った、イスラエルが夜通し上って行って突然彼らを襲い連合軍を完全に倒した。敵か味方かわからずに同士討ち、何のために戦うのか、一人一人はどういう考えでなしているのか、きちんとなされていないと混乱が起こる。数が多いことのゆえに有利かのように思うがお互いがお互いを妨害してしまうこともある。私たちも心を一つにし大きな力となることも逆にはかどらないことも思い通りにならないこともある。神の名のもとに統一性を持つときに力を発揮する。日本は一国で優れているようだがアメリカのように多種多様な人々が集まり学問を豊かにし宗教がそのことを統一性を持つときに人種を超え、問題を超え、お互いの自由を尊重している。日本では宗教がなくてもそれなりにやっていけるという風潮がその力を見えにくくしている。だからこそ神から与えられた命題を教会がそのことを推し進めて行く。そうでないと目標、何のためにということを見失ってしまう。自分が老年になり力を失った時に、まわりにだれがいるか。」と語られました。

 今回の質問はこの春高校を卒業した山田保兄からで「先日の礼拝のメッセージで語られていた神の世界の造詣とはどういうことでしょうか?」という質問でした。
(造詣:学問・芸術・技術などについての深い理解やすぐれた技量。また、それをきわめていること。小学館国語辞典から引用)

 それに対して先生は「一分野に長けていく、深い造詣。神を信ずるということに良くわかり、信仰、生き方、考え方、私たちが教会の中にあって深い造詣を持つことができるか。一般的に話すことは浅い話、教会の中で話しているものは深い話。家庭の中でそれを掘り下げていくことができるか、聖書的に。それを大切にしていこうという感覚と意欲。例えば一千万円あげるといわれても今日一日子供たちと過ごすことの方が大切とさらっと言えるか。今もらったとしてもその先それが家庭を崩すものとなる。いつも後ろ髪引かれるものだと良くない、意欲と感覚を若いうちに自分のものにしていないと、いつもザワザワした心を持ち続けなければいけなくなる。」と語られました。

 「器を大きくする時期、そこに物を入れる時期、そこをかき混ぜ自分の味をつくり多くの人に味わわせてあげることが出来る」、と他の若い兄弟の質問の中で先生が語られていました。若いうちからそこに取り組む方々のこれからを期待すると共に自らも今なさなければならないことを一つ一つさせていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)