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キリスト教—信徒の志す—

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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—43

 9月、暑さから少しずつ解放されてきて、涼しくなってきました。温かい飲み物も増えてくる中、集会を持つことが出来ました恵みを感謝します。

 山田保兄から「どうすれば救われることが出来るのですか。」という質問がなされました。それに対して、先生の答えは「信仰を持つことです。」でした。
 保兄は両親ともにクリスチャンで幼いころから教会に通っています。クリスチャン家庭で育つということは幸いなことであります。世の中の危険や傾向性を学んだ両親の元、日々の生活を神の安らぎを持って送ることが出来るからです。しかし、同時に私たちは世の中から糧を得、世の価値観の中で生きていかなければなりません。

 私が救われたいと願ったのはその世の中の価値観を持って歩んでいた時に感じていた人に対する怖れや、偽って生きている自らに悩まされていたからです。世の価値観に振り回されていた私は世と教会を行き来している、どっちつかずの状態に孤独と不安を感じていました。
 そんなある時に、私の根本での変化がありました。教会の人たちで川に遊びに行った時、教会の方が一人川で溺れました。助けてと声はあげていませんでしたが、明らかに緊急事態でした。しかし私は、泳げない人なので助けに行くことはできないと思っていました。すると、後ろにいた父から「惠一」と声を掛けられ、私はとっさに飛び込みました。何とか、たどり着いたものの当然泳げない私は一緒に助けを呼んで、結果近くの教会のお子さんに浮き輪を投げてもらって助かりました。
 しかし、この時私のなかで、大きな変化が生まれました。どっちつかずの私に「行きなさい」と声を掛けたのは、もしや神だったのではと思い、そして私もこれから「神」と「世」どちらの道を生きるか選んでいかなくてはならないと思わせられました。そして2007.11.13、自分の犯して来た罪を告白し、救いを受けました。

 必ず保兄にも明かな神の導きがあることと思います。しかし、その時に飛び込まなければ状態は維持されてしまうと思います。多くのアドバイスの中でも、最終的な選択は本人によります。変わろうとしている魂とどう接すればいいか、今後の私の取り組みとなりそうです。

(仙台聖泉キリスト教会:斉藤 惠一)