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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—40

 6月も教会では野外コンサートや剣道大会など多くの活動がありましたが変わりなく月に一度の聖書を学ぶ会がもたれ、霊の糧を与えられていることを覚え感謝いたします。

 ヨシュア記13章が開かれました。
 「13章から分割が始まる、完全に全部を追い出してはいなかった。第一世代はヨシュアとカレブ、2人が最年長、第二世代がカナンへ入った。ヨシュアとカレブ、ヨシュアが高齢、老人をどう区切るか、モーセもそうであったように聖徒と呼ばれる人は最後まで使命の中に歩み続けていた。老いとどう生きるか、何を意味しているのか。死を迎えるということ、人生を生きるということに満足していく。人間が生きるということはこういうことなんだろうと。80になって何かを期待するというのではなく付随するものも増え、もう十分だと。究極、死を迎える、主が死を迎えさせて下さいましたと。死の恐れは、まだしなければならないことがあるという時。しかし、実際生きて受け入れて行くことができる。カナンの地はヨシュアという人物と分割していく。まだ占領すべき土地が残っている、それぞれの部族がそれを成していく。ヨシュアが没した後、士師が出るまではどうなっていくか、民が信仰を持ってやっていくことができるか。それぞれにゆずりの地が・・・と委ねて行くしかない。神の摂理のうちに自分たちがその責任を果たしていくことができるか。神は少しずつ神を信ずる信仰を残しながら、個人ではなく集いとして。信仰は個人を支え、家族を支え、教会を支えて行く営み。」と語ってくださいました。

 今回の質問は高校一年生になり、この集会にも加わった山本更姉です。たくさんの質問を持って参加しています。読んだ本の中に「家庭を崩壊させたリベカ」というのがあるのですがどうして崩壊にまでなってしまったのでしょうか?という質問でした。
 「創世記27章のところですが、男性が持っている食欲、大切な部分を妻は担っている。三欲を司っていかなければならない。それぞれに役割があり、生活が整っていれば女性も働くことができる。リベカはそれを欺きに使った。リベカはその後、ヤコブを見れない、ヤコブの奥さんも孫の顔も見れなかった。究極はイサクが悪い、リベカはそれを負った。夫婦がどう値積もっていけるか、夫婦の間で練られていなかった。誰の責任と言っても事実は残る。引き起こした元凶、問題点を理解し一つ一つ解決し積み上げないといけない。神がこうしなさいと言ったことをどう受け入れて行っていくか。黙って神の決定に従ってみると、それで良かったんだなと。生涯をかけて追求したものを次の者へ継承していく。神の選び、神のご所望をとらえ本当の意味で神を追求していかなければならない。隣人の重要性も利害でしか判断できないと、相手からも同じような反応が返ってきて、老いていくと人間がポツンと一人取り残されてしまう。宗教ということが、その人の世界を確立していく。」と先生を通して語ってくださり、もう一度、家庭での営み一つひとつの大切さを教えられた集会でした。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)