同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 結実の考察(第14回) —

野澤 睦雄

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため・・です。」
(ヨハネ 3:16)
「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
(ヨハネ 15:8)

<3.聖書の示す世界観>

6.自我
 「自我」ということばは、潔めに関する書き物や説教に多く登場します。ですから、これは何を意味しているか把握しておくことが大切です。
以下に、「結実」の本文を引用します。

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 自我という語も聖書の言葉ではなく、人間の哲学の用語です。自我とは「我」そのものであって、人霊の自分に対する認識です。その認識はすべての霊、即ち神、天使、悪霊も人間同様に持っています。
「わたしは、『わたしはある。』という者である。」(出エジプト三の一四)
「私は神の御前に立つガブリエルです。」(ルカ一の一九)
「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから。」(マルコ五の九)
 ハリソン・デービス(37)のいう、「自我とは、それ自身と、それ以外のものとの区別に気づくものである。また自我とは、それ自身の内と外との変化に気づくものである。これらの変化は経験と呼ばれる。…自我は他の自我とは決して混同されないが、他の自我と親密に交わることができる。…自分自身と交わることができる。…自我は、経験によってそれ自身を知ることができるようになる。」は次のように理解されるべきです。
・人霊は、自分を「我(私)」として認識する。それが「自我」である。
・人霊は、自分と他を区別する能力を有する。
・人霊は、自分自身と他の人や物事の変化に気づく能力を有する。その気づくことが「経験」である。
・人霊は、他の霊と交わることができる。
・人霊は、自分自身と交わることができる。
 人霊が自分自身と交わることができるというのは、「霊」と「魂」は別のものであって、霊と魂との間に交わりをもつことができることを意味しています。

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「自我」は哲学の用語と述べましたが、心理学や精神医学の分野でもよく使われます。その場合、自我の確立、とか自我の成長というように自我を人格と同一の意味に使っている場合が多くあります。ですから、私たちは書かれている文書、語られている事柄からそれらが何を意味しているか判断することが求められます。

 後の章で取り上げられていますが、潔めの勧めの中で、「自我に死になさい。」と言われることがよくあります。
 ここに書いてあるように、「自我とは、人霊の自己認識です」から、それは死んだり無くなったりすることは決してありません。
 自我に死になさい、と勧めているひとの言っていることは、「うなじの強いものであってはなりません。神に従順なものでありなさい」ということです。

(仙台聖泉キリスト教会員)