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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—48

『パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」
ヤコブはパロに答えた。
「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
ヤコブはパロにあいさつして、パロの前を立ち去った。
ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。』
(創世記47章8-11節)

 最近は暖かくなってきまして、春を感じさせる植物も芽生え始めました。
そのような中で聖書を学ぶ会が行われて感謝でした。
 石井ミワ姉妹より次の質問がなされました。
「ヤコブは自分の好きなように歩んでいたに見えますが、どうして神様は彼と関わり、祝福し続けたのでしょうか。」
それに対して、山本嘉納牧師は「祝福されたヤコブを祝福された者として相応しく扱われているのだ」との回答がありました。
 ヤコブのその一見好き勝手に生きているようなところも神様は受容してくださり、忍耐強く関わり祝福してくださるということを知りまして、私たちもそのように神様に受容していただいているということを思わせられ感謝しました。
 これから天気も段々と暖かくなり移り変わる季節に喜んだり、落ち込んだりすると思いますが、その時にふっと「受容する」ということを考えてみると、この移り変わる季節も私たちにとって必要だからあるのであり、雨風の日に憂鬱になってしまう自分はまだまだ未熟だなと感じさせられます。

(執筆担当:齊藤恵一 仙台聖泉キリスト教会会員)