同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~同じ目線に立つ恵み~

石井 和幸

「大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。」
(へブル5:1~2)
「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対してとこしえの救いを与える者となり、神によってメルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」
(へブル5:8~10)

 先日、私たちの教会で、20年前の、教会で行われた行事を撮影した映像を観て、記念する集会が持たれました。私は当日仕事があり、その集会に参加できませんでしたが、帰宅してから集会で上映された映像を見せてもらいました。
 20年前の自らの姿・・・ひとりよがりなファッションや、コンサートで司会をするシーンは、赤面せずにはいられないものでした。自分が話しているシーンが映ると、私は『ちょっとトイレに行ってくる』と言って中座しましたが。暫くして戻って来ても、まだ話をしている20年前の自分が画面に映っています。(早く次のシーンに切り替わらないかな?)となお思うほどに荒削りな姿でありましたが、(当時はそれなりに一生懸命やっていたのだな)とも、当時の映像を見て思いました。
 映像の集会が持たれた前日に、キリスト者学生会(KGK)髙木主事の送別会が仙台にて持たれました。髙木主事は、東北の大学を卒業し、一般企業に数年勤めてから関東地区の主事になり、その後、神学校での学びを経て東北に赴任され、今回、海外へ留学するために、KGKの主事を退職されます。送別会の際、主事は次のようなエピソードを語られました。関東地区の主事に就任した1年目は、社会人生活を終えたばかりで、学生の感覚、ゆるさ、ルーズさを受容することが出来ず、ついついすぐ厳しい指摘をしていたそうです。当時、髙木主事と接した学生が10人いたら、10人とも、『髙木さんは怖くて、厳しい人だ』と答えたそうです。ところが、東北地区に赴任して学生と接するようになった時は、すぐ自分の学生時代を思い起こし、(ああ、自分もそうだった、今接しているA君のような、訳のわからないことを自分もよく言っていた・・・Bさんの姿は、まさに自分の学生時代そのものだ・・・)と気付き、学生に関われば関わるほど自分が砕かれていったそうです。
 髙木主事の元で学生時代を過ごした東北地区の若い卒業生が、『髙木さんは、アドバイスをするにしても、学生である自分達と常に同じ目線で語ってくださり、同じ目線で接してくださった。それが本当に嬉しかった』との感想を述べました。
 20年前の映像を見ながら私自身のことを思い返した時、以前の自分はいかにも自分ではなかったかのように目をそむけたくなるような者でしたが、20年の歩みの中で、神の豊かな忍耐と導きのもとに、教会の方々とともに歩み、育みのなかに生きさせてくださったことを覚え、感謝に思いました。20年前の私は、10年後には結婚が与えられて子どもが1人いるんじゃないか・・・という甘い予想をしていました。しかし、その通りにはいかず、砕かれながら時間をかけて、その歩みを進めることになりました。私の取り組みがたどたどしく、歩みがのろいなかで、神はあわれみと配剤を私に成してくださり、私の思いを超えた幸いな家庭を与えてくださったことを、20年前を振り返りながら神に感謝することができました。
 私たちの教会で年1回もたれる記念映像会は、私の父が担当し、映像を編集しています。父のねらいは、この集会にて、教会員一同が「同じ目線に立つ」ことでありました。特に若い兄弟姉妹が、かつて先輩も同じ苦労をしていたことに感動と刺激を受けて立ち上がる動機が与えられれば・・・と願いつつ、集会を準備したそうです。現に、『このような20年前の取り組みがあって、今の私たちの働きが成り立っているんだ』と感想を述べる若い兄弟の姿がありました。
 私は映像を見ながら、自分が主からあわれみを受けてきた者であることを差し置いて、人をさばいてみたり、自分の都合で人に対して時に冷たい態度をとるのではなく、主の前にへりくだり、同じ目線で妻を愛し、子どもを愛し、人格に接していく大切さを覚えました。そして、この機会にふと日々の生活にて立ち止り、普段とは違う視点、角度から自らの歩みを振り返る時が与えられたことを感謝いたしました。体重は極力20年前に近づくことを目指して励みつつ、幸いな20年後を目指して行きたいと思います。(笑)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)