同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 感謝 —

森田 心

「私たちの手をも心をも 天におられる神に向けて上げよう。」
(哀歌3:41)

 50才を過ぎた頃から、字を読むのにもぼやけはじめて、あっという間に老眼鏡が手放せなくなりました。目だけでなく、子供たちからも最近お父さんは昔あまりしなかったような失敗をよくするようになったねと言われます。子供たちがすこしずつ自分を追い越していく所があって、負けないと思う気持ちより案外それが嬉しく思われたり、家庭においても教会の働きの内にあっても責任を持って立っている姿を見て、ここまで夢中になって走り続けてきたのだから、少しゆっくり歩んで行ってもいいのかと思うようになりました。自分を取り巻く様々な事柄や、流れの中にあって、今まで歩んで来た道を振り返って見ることも多くありました。
 その様な思いの中でこの年が始まって、そしてまもなく牧師から神の召しに立ち上がっていく兄姉の話がありました。初めて聞いた話ではありませんでしたが、その時昨年1年を通して語られ続けてきた祈祷のメッセージの神は生きておられ、私達の内に豊かに生きそして力強い御手をもって進むべき道を備えていて下さることが語られ続け、神は私に何をもって立ち上がって行くのかと問われ続けていました。その時神の力強き支えを信じて立って行こうとしている若いたましいと共に生きていきたいと思いました。
 更に母のことも思い返し、決して忘れてしまったわけではありませんが、先を望み見て、もう少し、いやもっともっと走り続けたかっただろう思いを、その信仰を私に託して天に召された母のことも思い出され、母の信仰も背負って行かなければならないことを感じました。
 もっとしっかり立って、まだまだ走って行かなければならいこと、しかし、それは苦しみではなく、共に生きる方たちが、そばにいて、一緒になって同じ方向を見て進んで行ける幸いがあって歩めること、神の恵みを覚えて感謝をいたします。

(盛岡聖泉キリスト教会 会員)