同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 結実の考察(第11回) —

野澤 睦雄

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため・・です。」
(ヨハネ 3:16)
「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
(ヨハネ 15:8)

<3.聖書の示す世界観>

3.命
 「いのち」はキリスト教の重要テーマです。「永遠のいのち」を与えられることは「救われる」ことの最重要部分です。聖書がこのいのちについてどのように語っているか、考察しています。いかに結実の本文を引用します。
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 ”命”という言葉は、聖書の中で二つの意味に使われています。
 一つは、通常の”生命”という言葉と同一に扱っている命です。「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)とイエスが言われたのはこの意味においてです。
 自然界の命は一種類、霊界の命も一種類のみ存在します。 自然界は、命のあるものと、命のないものによって構成されています。自然界に生きているものは、人間、動物、植物、微生物などです。人間の命、動物の命、植物の命というような区分をする人もいますが、自然界の命は一種類であって、それらの間に区別は存在しません。動物も植物も多数の細胞の集合で構成され、その細胞群がそれぞれの機能を分担することによって成り立っています。細胞一個でできている生物もありますが、そのようなものになってくると動物か植物かさえも区別がつかなくなるのです。微生物も皆命を持っており、その命は細胞の集合体である動植物となんら変わるところがありません。これらのことは、自然界の命は一つであるという結論を導き出します。「すべての肉がおなじではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。」(Iコリント 15:39)と書かれていますが、これは体に種類があることを言っているのであって、自然界の命に種類があると言っているのではありません。
 同様に、霊界もまた命のあるものと命のないものによって構成されています。霊界には命のある物の方が一般的に知られていて、命の無い霊界に属するものというのはあまり意識されていません。「新しい天と新しい地」(黙示21:1)「聖なる都エルサレム」(黙示21:10)「いのちの水の川」(黙示22:1)などの記事が聖書にあります。これらは皆霊界に属しますが、それら自体は命の無いものです。従って霊界にも命のない物があると結論されます。
 「霊」と呼ばれるものは、霊界の命を有します。聖書に登場する霊は、神、人間、天使、悪霊です。セラフィム(イザヤ6:2)は不思議な姿をしていますが、これは天使に属します。ただし例外があって、霊ではないが霊界においていのちがあるであろうと推測される種類のものがあります。すなわちそれは地上の植物に対応するものであって「わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」(黙示2:7)「私は新しい天と新しい地とを見た。…聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのをみた。…御使いはまた、私に…いのちの水の川を見せた。それは神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸にはいのちの木があって、十二種の実がなり、毎月実ができた。…」(黙示21:1-2、22:1-2)にあるいのちの木ですが、これは霊ではありません。
 命の第二の意味は、「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:4)と書かれてある命であって、十字架の贖いによって人に与えられる命です。「それから、イエスは弟子達に言われた。『だれでもわたしについてきたいと思うなら自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのち(第一の命)を救おうと思うものはそれ(第二の命)を失い、わたしのためにいのち(第一の命)を失うものは、それ(第二の命)を見いだすのです。ひとはたとえ全世界を手に入れても、まことのいのち(第二の命)を損じたら、何の得がありましょう。そのいのち(第二の命)を買い戻すのには、ひとはいったい何を差し出せばよいでしょう。』」(マタイ16:24-27)この言葉に、第一の命と第二の命の意味合いがよく解説されています。
 第二の意味の命についてもう少し考察しますと、その命という言葉は、聖書の中に沢山記されています。たとえば、「神は、実に、その一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)「永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)「聖書の中に永遠のいのちがある。」(ヨハネ5:39)「永遠のいのちに至る食物」(ヨハネ6:27)「わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:48)「永遠のいのちのことば」(ヨハネ6:68)「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)「神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行い…ものには、永遠のいのちを与え…」(ローマ2:6-7)などがそうです。 この第二の意味の命は、4.死の項で述べる、この世の生涯に於ける人間の霊の死に対応していて、その人霊の死んでいる部分に与えられる新しい命です。この命を与えられた人は、「罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者。」(ローマ6:11)なのです。

(仙台聖泉キリスト教会員)