同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 結実の考察(第16回) —

野澤 睦雄

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため・・です。」
(ヨハネ 3:16)
「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
(ヨハネ 15:8)

<4.聖書の示す人間観>

 本文と重複しますが、ここでは聖潔について考察を進めています。それを頂くのは人間であるわけですから、聖書(=神)が人間をどのように見ておられるのかは重要な問題です。
 以下に本文を引用しておきます。

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 人間はどのようなものであるのか聖書が示していることを把握しておくことは、聖潔を理解し、それを与えられ、それに生きる上において極めて大切です。本章では以下の事柄について考察します。
 ・人間創造の目的
 ・人間の構造
 ・人霊とその機能
 ・魂とその機能
 ・良心について
 ・体とその機能
 ・欲求について
 ・肉という表現について
 ・人の誕生
 ・罪と罪の性質について
 ・罪の性質の遺伝
 ・自我の死は存在するか?
 ・地上生涯の価値
 ・いかにして己を知るか

1.人間創造の目的
 神が人間を創造された目的は、人間と人格的な交わりを持ち、「人間に神を知らしめること」です。これを人間の側からみれば、「人生の目的は神経験にある」と言うことができます。人間創造の目的をそのように考える理由は、人間がやがて到達する永遠の状態の中にあります。
 「…御座から声が出て言った。『すべての、神のしもべ達。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。』…私は大群衆の声…が…こう言うのを聞いた。『…私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。』…」(黙示19:5-8)とあるように、天国において人は神を讃美して永遠に至ります。その讃美は子羊の贖いの歌であって、イエス・キリストの贖罪による救いに与った者だけがその讃美をすることができます。「彼らは…新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。」(黙示14:3)これは直接的には、御座の前で歌われる新しい歌について言っているのですが、時と場を違えれば、贖いの歌は罪から贖われた人間全てに与えられるものです。一方、悪霊達や贖いに与らなかった人間および天使にはこの歌が歌えません。天使は神を讃美しますが、彼らの讃美は自らがそれに与った贖いの歌ではありません。天使が人間に及ばない理由は正にその点にあり、「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを知らないのですか。」(1コリント 6:3)とパウロが指摘する論拠がここにあります。
 永遠に影響しないことは、人生の目的にはなりません。それらは「用いれば滅びる(尽きる)もの」(コロサイ2:22)であり、「火によって焼かれてしまうもの」(1コリント 3:12-15)であり、「朽ちるもの」(1コリント 15:53)、「虫と錆で、きず物に」(マタイ6:19)なるものです。
 人間は贖いに与り、神と交わりを持つことによって神を知ります。

 

2.人間の構造
 人間は、「あなたがたの霊、たましい、からだが…」(1テサロニケ 5:23)との聖書の言葉に示されるように、霊と魂(心)と体から成り立っています。Iサロニケ 5:23の訳語には、文語訳聖書では「心」と言う言葉が用いられていましたが、新改訳聖書では、「たましい」という言葉が使われました。いずれにしても、キリスト教の世界ではどのような意味で魂という用語を使うかということを承知して置くことが必要です。
 人間のこの「体」、「魂(心)」、「霊」から成る三重の構造こそ神の傑作であって、人間は霊界と自然界に跨る生き物となりました。
 人間のこの三部分のうち、霊界に属するのは、霊のみであって、魂は自然界に属します。
 この三重の構造をもつのは、人間とイエス・キリストのみです。

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人間が、霊、魂(こころ)、肉体という三重の構造を持っていることを、理解しておく必要があります。後で解説されていますが、この三つは別々に働くのではなく、おのおの別なのですが、有機体となって一緒に働くのです。

(仙台聖泉キリスト教会員)