同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 子どもの小学校入学・新しい営み ~

石井 和幸

「すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。 もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。 ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。」
(民14:6~9)

 この春、長女が小学校に入学しました。小学校は私の母校でもあり、校舎は私が通った時代のものを改修したもので、校長先生は妹が6年生のときの担任でありました。昇降口には、「昭和60年度卒業生製作」として、私が製作した下手な木彫りの自画像が当時の同級生のものといっしょに今も飾ってあり、小学校に足を踏み入れれば、私の過去を思い起こさずにはいられない環境に長女が通うことになったことを、不思議に思う今日この頃です。入学式には私も参列しました。幼稚園入園の際は、親自体も「どのように子育てしていけばいいのかまだ掴みきれていない」という雰囲気がありましたが、小学校にもなれば、大抵どのように子どもを教育し、どのような家庭を営むか方向性が固まっているものだと、感じました。小学校から渡されたたくさんの書類のなかに、PTAや子供会の行事予定、野球やバスケットボールといったスポーツ少年団の案内が入っていました。PTAや子供会の行事は、日曜日に行われるものも多くありました。また、どの地域の子供会も、神社やお寺のお祭りと子供会のイベントをリンクさせたものが多くあります。スポーツ少年団に入ろうとすれば、それこそ土日・祝日はすべてその活動日となってしまうそうです。家内は早速、我が家はクリスチャンなので、日曜日は終日教会に行くこと、町内にある神社のお祭りには当日関われないことを伝え、理解を求めていました。
 私が小学生のときと現在と比べ、違うところはいくつかありますが、私の両親も同じように学校や町内の関わりの中で苦労したであろうことを思いました。
 この年は、教会のサテライトルームの看板を掲げ、その活動が始められました。我が家は教会の隣りに住み、長い間店舗を営んできましたが、昨年私の父が決断をし、1階の店舗と事務所を教会の諸集会で使えるように計画しました。教会の先生方をはじめ、多くの若い兄弟姉妹に改装工事を手伝っていただいて、昨年から教会学校や諸集会の一部に用いられるようになり、今年から「仙台聖泉キリスト教会 サテライトルーム NOAH」として活動を始め、先月、多くの兄弟姉妹の祈りと協力で、第一回目の子ども伝道会が開かれたことを大変感謝しています。関わってくださったお一人お一人が本当に真摯にそこに準備をしてくださり、子どもたちが喜んで参加できたことが本当に幸いに思いました。新しく来てくださった方も、また来たいと喜んでくださっていました。今までは単に「石井商工・石井さん家の1階」であったものが、教会サテライトの看板を掲げるようになって、新たなチャレンジが主なる神から与えられています。新たに展開されていく環境のなかで、親としての判断と取り組む姿勢が、神と人に対して真実であるか、それが我が家の子どもたち2人に大きな影響を与えることを覚えます。
 この5月には、3歳になったばかりの玉城信人くんと、我が家の長男が今年も教会野球部イーグルスの合宿に参加します。昨年、信人くんの父親である玉城義兄が、小さな信人くんとともに合宿に参加することを表明した際、私は正直、(まだ早いのでは? そこまでしなくてもまだ良いのでは?)という思いがありました。しかし、昨年の合宿では、多くの兄弟たちに豊かに関わっていただき、大変感謝いたしました。
 こうして子どもの年齢が上がるにつれ、子どもたちの生きる環境・社会が広がっていくことを実感するときに、教会のなかで生き、親とともに神に近づき、命ある交わり、関わりを通して活かされることが大切であることをひしひしと感じます。教会の諸集会、伝道コンサート、野球やフットサル、運動会、剣道大会、教会キャンプ・・・その場にいて喜んだり、讃美したり、応援したりする子どもの姿、「今日は楽しかったね、またやりたいね!」といって一日の終わりに感謝の祈りをささげる子どもたちの心が、躓くことなく成長し、やがて主に出会うまで、親として祈り、取り組みつづけることがいかに大事かを実感しています。
 そのことを意識しながら、なお夫婦で祈りつつ取り組んでいきたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)