同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— ペンテコステの恵み —

「信じたとき、聖霊を受けましたか」
(使徒 17:2)

 5月24日が今年のペンテコステです。冒頭のみことばは、幾度も取り上げていますが、また皆さんと一緒にこれを考察したいと思います。
 筆者の経験をお証ししますが、このみことばに示されている内容を筆者が確認されて、返事にぐっとつまったことがあります。
救いの恵みを受けた翌年のことですが、インマヌエル綜合伝道団の山形教会の開戦伝道のお手伝いに行きました。そのとき、ホーリネス教団山形教会のご婦人の先生もお手伝いにきていまして、その先生と個人的福音経験の話をする機会がありました。そしてその先生から「聖霊経験をなさったのですね」と聞かれました。それが、私が返事につまった瞬間でした。「はい」と言えなかったのです。
 救いの恵みに与ったとき、私は大学生でフォークダンスのクラブに入っていました。ほんの趣味の類に過ぎませんが、それに没頭した期間があり、救われた後もだらだらとではありましたが、続けていました。救われて3ヶ月ほど経ったとき、「それをやっていていいのかね」と聖霊の指さしをいただきました。私はフォークダンスをやめる決断をし、持っていたダンス音楽のレコードや靴を教会に持参して先生に渡し、「フォークダンスをやめます」と告げました。その時、確かに豊かな霊的な飛躍を自分の内に感じ、ペンテコステの恵みをいただいたのだと思いました。しかし、そうではありませんでした。ですから、先のお話しのとき、「はい」と答えられなかったのでした。
 本当に、心から「はい。私はその恵みをいただきました。」と言えるようになったのは更に4年後でした。結婚のことを通して、「神よ。私はあなた以外の何もいりません。あなたの恵みをいただきたいのです。」と心から叫ぶ機会をいただき、それまでと違った新しい信仰の世界に導かれました。救われた時の変化にまさる大きな変化が私のうちにありました。そして、聖霊がおいでくださったことが、鮮やかに分かりました。

 潔め派の教会に所属し、ながく信仰生活をつづけていますと、ペンテコステの恵みに導かれていなくとも、いつのまにか当然のようにそれを語っていることがあるように思われます。先に述べましたように、「聖霊経験をなさったのですね」とご婦人の先生に突きつけられたことは、私にとって幸いでした。「はい」と言えるようになるまで心は休めませんでした。
 イエス・キリストはバプテスマのヨハネが紹介したとおり、「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)
 ペンテコステの記念日が、いまだそれをいただいていない皆さんの、真のペンテコステになりますように。