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Q&Aルーム

質問してみよう「聖書を学ぶ会」—58

「彼女にマリヤという妹がいたが、イエスの足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。」
(ルカの福音書10章39節)

12月各例会はお休みの中、変わらずに聖書を学ぶ会が開かれたことを感謝致します。
今月は士師記7章全体が開かれました。この個所は神に従うギデオンとギデオンに従うイスラエルの民が書かれています。
ギデオンはたくさんの民を引き連れて先頭に立っている方ですが、神様の前にへりくだって従う姿と嘉納先生が「ギデオンはこれまでも神様に問いつづけた者で、神様もそのことを丁寧におしえてくださっているのです。」とお話されていました。
そのお話を伺ったときにギデオンが神様に心から信頼を置いている姿と神様の愛の深さをもう一度思わされると同時にギデオンのその従順な姿と私自身を照らし合わせた時に私には足らないところがまだあることを感じました。
例えば私も似たようなことがありまして、それは昨年結婚のお話をいただいた時、私自身祈って願っていたことではありましたが、いざ目の前に置かれるととてつもない不安や様々な感情、自己中心的な思いが先走って溢れんばかりに湧いてき神様が共にいてくださっていることを忘れている不信仰な私がいました。私はその所で神様の存在を忘れ迷い悩んでしまうかたくなな者でありました。それでも神様は盡子先生を通して一つ一つ私の不安や思いを受け止めてくださり、このような私を引き上げてくださり私ももう一度その深い愛に気付かされ信頼と感謝を持って歩み始められた事を思い出し、今日まで守られ豊かに御手の中で生かされていることを思わされました。
また、他にも日常様々な場面の中で小さなこと大きなことの選択に毎回悩み一喜一憂しながらも主人や教会の中導きの中で過ごしていますが、今月も聖書を学ぶ会を通してもう一度心から神様に信頼し寄り添うことが許されていること、またこのような私にも神様はいつもそば近く寄り添っていてくださることを覚え大変感謝しています。
今年も毎月聖書を学ぶ会が開かれ、多くの質問の中から嘉納師を通して神様が豊かな導きやメッセージがなされ、多くの兄姉と分かち合うことができたことを心から感謝致します。

(質問コーナー)
石井和幸兄 士師記7:9-10
Q,神がギデオンに指示を与えていた。しかしそのあとにすぐに手ほどきされているように感じられますが…
A,神はギデオンという人を承知しているということ。大切なのは神も自分自身も己を知っているということが大切です。また、10節の「恐れるなら…」という問いかけ(アクション)をすることで、ギデオン自身も自分というものを自覚することができるのです。
士師記7:19
Q,番兵の変わりめ(3交代について)の意味。
A,タイミングを合わせるという意味。偶然ということではないです。

齊藤恵一兄 使徒27:9-10
Q,なぜパウロはこのようなことを言ったのですか。また、断食の季節が過ぎた為と突然書かれているのですか?
A,パウロにはこの航海が危険であることが分かっていたからではないでしょうか。また、断食の季節と書かれたのはその日付を読者に表すためです。

森田穏兄
Q,11月の最後の礼拝メッセージの中からの質問です。「達観」することはわかりましたが、「着眼点」がずれると達観できないとメッセージがなされていましたが、信仰生活においてどこに着眼点を置いたら良いですか?
A,まず信仰というのは私達の底辺に流れています。(教えられたことをやること)
低迷することは何かにひっ掛るためでそこから達観できない、脱皮できないということです。
それは、同じところを見続けているために考えを変えることができない。見るべき所、見方を変えることが大切です。
今回登場したギデオンのように一つ一つ神に聞くことをおかしいと思っていないでしょうか?今起こっている問題をどう乗り越えるかが大切です。達観することによって、違った新しい助けを得ることができる。信じて委ねる事も神を愛することであり、愛することで豊かに導かれているのです。
また、達観はしょっちゅうするものでなく理詰めでなされるがダメな時するのです。スポーツで例えるなら「なぜほとんどのチームには勝つのにこのチームになると負けるのか」というところからそこで考えがなされ達観して勝利するのです。

山田保兄 士師記7:25
Q,ここに書かれている「オレブをオレブの岩で…、ゼエブをゼエブの酒ぶねで…」と書かれているこの意味(由来)は何ですか?
A,そこで彼らを殺したためオレブの岩、ゼエブの酒ぶねと名がつきました。つまり記念碑のような形です。その頃は本などがなかったために歌や記念碑でそのことを覚えてました。神の業を記憶するためでもあります。
Q,映画ノアの方舟を見たときのことから感じた、洪水からの救いをなぜ人は求めないのか。
A,権威について、その教えや技術が必要ならへりくだることが大切です。のんべえ(呑兵衛)の中にも権威がある時があります。つまり人は上辺だけで判断していることが多々あります。イエス・キリストの時代に主を救い主と認められない人は、彼が大工の息子だし、ガリラヤの出の者だしと思いその救いと贖いを認めませんでした。その御力を見出して求めた者はその権威に従うことができました。

山田行姉  
Q,「巡礼者」、「寄留者」、「旅人」の歩み方?
A,最終的には富や地位にこだわらない事です。極論に聞こえますが、神に優先するものは他に何もない。神を捨ててしまう者は地上にこだわりがあります。真の勝利は権力や知恵で人をおさめるのではなく、愛と福音を提供することです。何に付け、旅人であることにこだわりを持つことです。

玉城義兄 ルカ10:41
Q,このマリヤがイエスキリストにナルドの香油を塗ったマリヤですか?
A,そうです。また、姉のマルタの問題は妹マリヤに対してなぜ一緒にもてなしをやらないのかと責めたことです。39節に書かれているようにマリヤは「主の足元に座ってみことばに聞き入っていた。」ということが書かれています。彼女はただ聞くだけでなくそのみことばを理解していたということが重要です。意志してイエスキリストの働きを理解し、時至ってその葬りのために進んでやるべきことを行なったことが賞賛され彼女が良い方を選んだ結果となっています。

(執筆担当:齊藤 遥 仙台聖泉キリスト教会会員)

<参考> 「達観」という言葉の意味
 辞書:Bookshelf Basic から引用

たっかん(‥クヮン)
1.全体の情勢を広く見わたすこと。また、遠い将来の情勢まで見とおすこと。
2.細部にとらわれないで、物事の真理を見とおすこと。また、物事にとらわれないで、喜怒哀楽を超越すること。「達観したような口をきく」
3.真理を悟った人。悟りを開いた人。

Bookshelf Basicの原典:国語大辞典、小学館 1988.