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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—54

「これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。」
(士師記3 : 3)

 今回はまず冒頭で山本嘉納先生より、士師記の中でイスラエル人は信仰をないがしろにして敵に征服され、救いを求めて平穏が訪れるというシナリオがあることが語られ、現代の私たちにもこのシナリオから問われることはいくつもあることを指摘されました。
 私自身、教会に通い続けること今月で20年目になりましたが、初めは信仰に対する姿勢が全然なっておらず、自分を滅びに追い込む思考を頑なに続けている者でありました。最近になって主が私の心に語りかけて下さっていることにやっとのことで気付き、救いに導かれたことは本当に感謝しています。しかし、同時に自分の中にある「問題」というものに神と共に向き合った時、日々の信仰に対する姿勢がいかに堕落していたかを思い知らされました。
 石井ミワ姉妹がヨナ書から、ヨナを乗せた水夫たちのヨナを海に投げ込むことが良いことなのかどうか迷った事例を取り上げ、私たちも日々の選択を良い方にしていくにはどうすればよいか質問されていました。この質問に山本嘉納先生は信仰の世界観というものを持ち、人間の中にあるリスク管理の思考に縛られずに選択することが重要だと仰いました。水夫たちは、信仰をもつことには大変有能ではあったが、神がどんな方なのかという認識がまだ浅かったために人間的な思考に陥ってしまいました。しかし、ヨナを海に投げ込んだことで神がどんな方であるか再認識でき、ここに神との関わりの経験がなされたことでありました。このことは深く印象に残り、考えさせられました。
 私たちは物事を、ただ自分たちの目でみるのと、神を通してみるのでは全く考え方が変わってきます。いかに神を通して物事を見ていき、その時に感じた心に従っていくことが出来るかが重要だと私は今回の学びで感じました。どうしようもない罪を背負っていた私にも目をとめて下さった神に感謝するとともに、このような学びにもめぐりあえたことに深く感謝したいと思います。

(執筆担当:山田 保 仙台聖泉キリスト教会会員)