同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 十字架と復活の救い —

「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」
(エペソ1:7)
「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」」
(ヨハネ3:3)

 今年の教会暦では3月27日(日)がイースターに当たっています。毎年のことですが、教会暦にあわせて、そのできごとを思い巡らすことは幸いです。
 イエス・キリストそしてキリスト教とともに、「救い」ということが宣べ伝えられ、世の人々の間にも定着したことは周知の事実です。そのとおりキリスト教は救いの宗教であり、イエス・キリストは救い主なのです。そして、その救いはイエスの十字架の事実にかかっていることは、信じた私たちのよく知っていることです。
 救いの内容は、「義認」と「新生」の二面があると表現されています。「義認」は、罪を犯した私たちが、イエスの身代わりの死によって、その罪を赦され、義と認められることです。今回は「新生」について少し掘り下げてみたいと思います。
 なぜ「新生」が必要なのでしょうか?
人は罪をもつものとなり、罪を犯した・・では罪がすてられ、罪を犯さないものに変化させられればよいのではないでしょうか?
 「新生」が必要である秘密は、聖書の以下のみことばにあります。
「神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
・・・・
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
・・・・
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」
(創世記2:9-17、3:6)
 神は「それを取って食べるとき、あなたは<必ず死ぬ>。」と言われました。アダムは「その実を・・食べた。」のです。神が「必ず死ぬ」と言われたことが実現しなかったのでしょうか。そんなことはありません。神のことばどおりアダムは死んだのです。そう、「霊の世界、神の世界について」死んだのです。
 さらにそれが私たちにつながることが聖書に書いてあります。
「神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。 アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。」(創世記5:1-3)
アダムはその創造された日には、神のかたちでした。しかし、後半の彼のかたちどおりの子を生んだ。」と記されるまでに、アダムが「死んだ」できごとが起きています。
ですから、その死んだ<アダムのかたち>どおりに今の私たちが存在していると理解されています。
 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。」なぜ?神の国の死人だからです。
 幼い時から教会の中に育ったこどもたちについて、このことをよく理解している必要があります。教会の中で育つと、神を知っており、イエスを救い主だと思っています。普通の教会員と同じように賛美し、祈ることも、行動することもできます。しかし、罪を悔い改めて、救いの恵みに与らないうちは、神の前には死んだものです。
「1世の信者はすっきりしているが、2世信者はどうも曖昧で・・」とささやかれていることをご存じでしょうか。この曖昧2世信者とは、教会の中で育ったが、救われないままそこにいる人々以外のなにものでもありません。年があがれば長老扱いされているかもしれません。けれども神の前には死人であり続けます。そういう人々はピリピの牢の看守のように叫び出すといいのです。「救われるためには、何をしなければなりませんか。」(使徒の働き16:30)さもないと、死んで天の門に立ったとき、イエス・キリストから「わたしはあなたがたを全然知らない。」(マタイ7:23)と言われてしまいます。
 さて、話を戻しますが、霊の死は人に何をもたらしたでしょうか。聖書の引用は省略しますが、以下は全部聖書のことばです。
・こころが暗くなって、神を知らず、理解できず、
・神に従わず、
・神に敵対し、
・自分の欲望のままに生き
・利己心の塊になり
・神に変えて、偶像を拝むものと
なりました。自分に従って生きているつもりでありながら、
・サタンの奴隷に・・なっています。
 神はこのようになった私たちに、イエスの十字架の贖いを用意されました。それが、罪を赦され新しい命を与えられるための「法的な根拠」です。
 それを実際に私たちに実現するお方は、「聖霊」です。「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:5-6)と表現されているのは、このイエスの十字架と聖霊のお働きを言っているのです。
 新生のいのちは、私たちをアダムのかたちから神(キリスト)のかたちに変化させます。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(Ⅱコリント5:17)