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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—66

「「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していたからである。」
(士師記14:4)

 今回の聖書学ぶ会は、教会の新しい試みであるサマーキャンプの中で持たれました。いつもとは違う場所、違うメンバーではありましたが変わらず良き学びの時となりました。
 冒頭では士師記15章からサムソンの生き方が取り上げられました。彼の行ったことは確かに神の御旨に沿ったものでありましたが、一般の基準で考えれば決して褒められるようなものではありませんでした。牧師はこの記事に関して「人は他者の好意を得ようと神の御旨を知りながら、それを実行することが出来ないときがあります。しかしサムソンは神の御旨をとらえ、だれが何と言おうと揺るがされず、一人でことを行ったのです」と語られました。私自身も日々の中で他者の目を気にしてしまうことが多くあることを感じます。しかし、神はその弱さに負けずに戦いを勝ち抜くことを求めています。私たちの教会が世代を重ねて今ここに信仰を継承し続けているのも、戦いを勝ち続けてきた人たちがいるからこそであるように考えます。だからこそ私自身もその一員として次に続くものとなれるよう弱さに打ち勝つものとなっていきたいと感じました。

 今回も多くの質問がなされましたがその中から心に留まったものを一つ取り上げたいと思います。それは礼拝で取り上げられたルツ記の内容に関するもので「買戻しの権利のある親類は、ルツを受け入れることはリスクを伴うと考え買戻しをしなかったのですか」という質問への回答でした。牧師は「神は人がリスクであると考えることをしなさいと言われる方です。ルツ記で書かれている落穂の扱い方一つをとっても普通の人は自分のものをなぜ与えなければならないのかというでしょう。しかし実際は神がその人に与えてくださっているもの、恵みであるのだということを理解しなければならないのです。そのうえで、神の恵みにこたえるために私たちはその御旨をとらえ、主がご所望ならと言えることが大切なのです」と語られました。そしてさらにそこからボアズの行いを取り上げられました。
 ボアズはルツから買い戻しの話を受けた時、自分よりも近い親類がいることをルツに告げ、次の日にはその親類と買い戻しの権利についての決着をつけています。ここからボアズにはナオミとルツの問題を放っておくことが出来ず、その話が出る以前から彼が滞りなく準備を進めていたであろうことがわかります。ボアズにとってナオミとルツの問題は一刻も早く何とかしていかなければならないものだったのです。それはナオミとボアズという二人の関係にもあったと牧師は語りました。二人はベツレヘムという小さな町の中で同じ信仰の友として育ったであろうことが考えられます。ナオミはエリメレクという家系的に健康に弱かった部分を強くするためにその家に嫁ぎました。しかしナオミはその使命を果たすことが出来ずに帰ってこなければならなかったのです。その友であるナオミが悲しみの中で帰ってきたときボアズはどれだけその姿に涙したでしょうか。それと同時にそのナオミに付き従い、主の翼の下に避け所を求めてきたルツという女性の姿にどれだけ心を打たれたでしょうか。だからこそボアズには神を信じ、その御旨の中に生きる二人が悲しみの中にいることは我慢ならないことだったのです。こうしてボアズにとって買い戻しはリスクではなく、神の御旨がそこにあるのだと感じる一つの大いなることとなったのです。
 私はこの話を聞いたときに神が全てのことを働かせて益として下さるということを強く感じさせられました。確かにナオミは悲しみに帰ってこなければなりませんでした。しかし神はそこにルツという器を与え、図らずも彼女はボアズの畑で落穂を拾い、それがボアズの目に留まったのです。そして買い戻しが行われ、エリメレクの家は悲しみの中で滅んでいくのではなく、むしろそこに大きな神の恵みが与えられました。私はこのナオミの姿に強く共感を覚えます。私自身もきっと両親から、神から与えられた使命を背負い将来は今いるところから出ていかなければなりません。そう思うからこそナオミの与えられた指名を果たせなかったという悲しみを感じ取ることが出来るのです。私はこの先どのように扱われていくのかそれは何も見えません。しかしその御旨の中を生き続けることだけは決してやめずにいきたいです。それは、たとえ私の想像するような未来ではなくとも、必ずナオミのように神の大きな慈しみと恵みが私のすべてのことを益として下さることを信じることが出来るからなのです。この学びの中でその大きな恵みを捉えることが出来たことを感謝致します。これからの学びもなお一層良きものとしていけるように取り組み続けていきたいです。
 聖書を学ぶ会が今月も変わらず持たれ、良き学びの時となりましたことを感謝致します。

(執筆担当:山本 咲 仙台聖泉キリスト教会会員)