同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 仕えるということ —

齊藤 遥

「こうしてキリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師としてお立てになったのです。それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの教会を建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
(エペソ人の手紙4章11-13節)

 私達の教会で、8月9-12日に七ヶ浜で3泊4日のサマーキャンプが持たれました。
全日程の参加は嘉納先生・盡子先生を中心に、夏休みに入られた若い学生の方々でした。
 私達夫婦はお互いに仕事を持っておりますから合間を見ながら4日間の日程の中どこに参加しようかと話し合いました。
 まず、主人は初日に参加したいと願っておりました。初日のプログラムは特に特別なこともなく荷物運びや海水浴、バーベキューいう内容であり、主人は仕事を休んでまでその所に参加したいといいました。
最初はなぜその日を選んだのかわかりませんでしたが、主人は初日に参加する理由として「結婚する前は教会に対する積極的な関わりがあまりなかったけど、結婚して教会の中で共に食事をする機会が増え、毎週土曜日に先生方や兄弟達とジムに行く機会が与えられるようになり教会が身近に感じるようになり始めていた。初日に参加することは整ってない中に参加して共に荷物運びをして、先生方や若い兄姉達と共に様々な準備に携わることをしたいと思えるようになった」といっていました。
 私はその思いを聞いたときに、例えば今回のキャンプのような行事があり様々な伝道の働きや交わりを共に持つことになった場合に、どう仕えることか出来るか生かすことが出来るかを考えているように感じて、主人と共に仕えさせていただきたく願いました。私は初日参加することは出来ませんでしたが、主人は若い兄姉と共に本当に喜んで先生方に仕え、また悪天候の為海水浴は叶いませんでしたがそんな中でも室内で先生と兄姉達と賛美の交わりを通して、教会がより一層自分のホームになっていることを感じながら感謝な一時が持てたことを話してくれて分かち合うことが出来ました。

 また祝日である山の日のプログラムは昼の集会は「聖書を学ぶ会」と夜の集会は「教会の未来を語る会」が用意されていました。主人は仕事の為に聖書を学ぶ会の参加が許されませんでしたが、夜の集会は私たちにとってとても大切な時ととらえさせていただき参加させていただきました。

 その集会の内容は神様のもと救いに導かれた若い兄姉や他教会から嫁がれた姉妹たちの将来の夢や期待している教会のあり方・伝道の働き・教会建設などのお証や思いが話されました。
 私たち夫婦は発言することはありませんでしたが、多くの兄姉のお証を伺うときに私たちは気付かされたことがいくつかありました。
 正直私達はまだ始まったばかりの2人であり目の前に用意された課題や一つ一つの取り組みに精一杯になっていて全然なかったわけではありませんがもう少し広い考えを持って家庭の為でなく教会の未来を考え話し合う時間が少なかったように感じました。
 しかし、最初だからこそしっかりと考え取り組むことが大事だと改めて気付かされました。
 特に今年は山本守兄が献身者として立っていくという大きな働きもありました。
 また、多くの兄姉のお証の共通点は神様によって導かれた職業や学校などの社会生活においてどのように私達が信仰者としてより神様の身近で生活し働き、特に社会に密接した教会建設を望んでおられその中で福音の種を蒔くことや、今学びの中に居られる姉妹は涙しながら今学んでいることを教会の中で生かしながら神様に献身したいと強い思いでお証がなされ、ある姉妹は「与えられた子供たちが将来教会を担っていけるように願っています。」と力強い信仰告白がなされていました。
 また、最近の出来事として日々の聖書日課を通して神様に仕えている預言者や弟子たちまた神に従った姿や礼拝のメッセージの中でも神様を覚え仕えることや従うこと、献身することなど様々な場面で「仕えること」、「従うこと」という言葉が私の中で心に留まるようになりました。今までは無意識に素通りしていたようなことばでありましたが、守兄の献身者としての務めや多くの兄弟姉妹との関わりを通して、神様と共に生きていくこと、また神様の働きが出来ることになんと幸いで素晴らしいことかと感じることができるようになりました。
 仕えること・従うことは、そう簡単なことではなく失敗もあるかもしれませんし、それぞれに形は違いますが自分自身を神様にどうお捧げするか献身するか考える時があたえられまして、私達もまだ具体的には出てきませんがその多くの営みの中に参画させていただきながら神様が私たち家庭に何を期待しておられるのか吟味し見極めながら歩んで行きたく願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)