同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 導きのままに —

齋藤 優子

「また私たちは、さらに確かな予言のみ言葉を持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」
(ペテロⅡ 1:19)

 この年も半年が過ぎ、後半へとその歩みを進ませて頂いております。今年3月には、3人の子供のうちの一番下である長女が学校を卒業し私たち夫婦にとっては学生だった最後の子供が終わり次へのステップに入っていることです。
 私も長い間御用させて頂いた礼拝の看板を書くことを次への方へと譲らせていただきました。看板は私の救われる前からある兄弟より頼まれまして書きはじめましたが字の間隔やこんな字で大丈夫なんだろうかと試行錯誤しながら誰に教えてもらうわけでもなく自分で考えながら書かせて頂いたのを覚えています。いつ終わってもおかしくないような状況でもありましたが神は私に救いを与えて下さり結婚も導かれて家族も与えて頂きました。
 神はその御用を通しながら、かれこれ30年以上も礼拝の看板を書くことが守られ教会の中でその役を担わせて下さったんだなあと改めて思わされます。(私にとっては大役でもありましたが。)
 今年4月でその役を終え次にやるべきことを示され進ませて頂いていることは、その時にはこのことがどうなるか解らずにいたけれども示しの中でやり続けたことによって神が私に関わって下さっていたことを強く思うことです。
 今一番訓練の場所になっているのが与えられたお店であり、そのことを通して尚一層祈りの中で神を近くに感じ、人の思いや願いでもなく、神が成して下されば成して下さる方であることを信じ待ち望みながら歩ませて頂きたいと思います。人にとっての良いことが神の最善ではなく、神が最善とされるところに神の御計画があることに目を留めさせていただけるように導きを信じて。

神を愛する者たち、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには神がすべてのことを働かせて益として下さることを私たちは知っています。
ローマ書 8:28

(仙台聖泉キリスト教会 会員)