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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—60

「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」
(Ⅰコリント 1章21節)

 今回の聖書を学ぶ会では、冒頭に挙げた聖句の「宣教のことばの愚かさ」とは何かという質問がなされました。この質問に対して、私たちがこれから福音を宣べ伝えていくときに大切なことを示していただきました。「宣教のことばのおろかさ」とは、目に見える人間にとっての名誉や名声によって得たものを信仰に結び付け、上手に演説し、宣教していくのではなく、私たち自身が日々の生活の中で必死になって神を求め、恐れている姿こそがそばで見ている人の心を惹きつけ、本当の救いが生まれると語られました。
 私は普段から誰かを説得したり、何かを伝えようとするときに、「こうすることで成功する」「ああやったら上手くいった」などと自分の成功体験を話すことが多いような気がします。しかし、福音を宣べ伝えることはそういった人間の目に見える優位性を用いて行うのではないと教えていただきました。愚かしさの中から悔い改め、救い出されたこと、そして、日々の生活の中で神を必死になって求めている姿から本当の福音がそばで見ている者の心を動かし、見出されていくと分かることができました。
 私自身も両親や教会の方たちが日々の苦しい生活の中であっても、揺るがされずに信仰を持って歩んでいく姿に本当に神は生きておられるということを、信じることができ、救いにつながったと感じています。神は、私たち一人ひとりが弱さの中にあっても支えて下さり、信じる者の中に本当の福音を表そうとしておられることを改めて思わされ、感謝でした。

(執筆担当:山田 汀 仙台聖泉キリスト教会会員)