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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—64

「神が私たちに与えて下さったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」
(テモテⅡ 1:7)
「まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。」
(サムエル記Ⅰ 12:22)

 今回の聖書を学ぶ会で、私は二つのことに心が留まりました。
 一つ目は私が質問したことです。礼拝の説教の中で、冒頭の聖書の個所から、慎みをもって歩むことの大切さが語られました。信仰生活を、「慎み」を持って神と歩むことにより、神の御旨を知ることができ、その中で構築されていく営みが大切である。そのように語られていました。私は、具体的にどのようにすべきなのかが知りたくて質問しました。山本先生は、例え話を交えて教えてくださいました。しかし先生は、若い私に対して、「今すぐに理解して、できるものではない。探り続ける心を、持ち続けることができるかどうか。そうするかしないかで、大きく変わっていく。」と言われました。そして先生は私にアドバイスとして、慎みを持って生きてきた方と、交わりを持つことも、それをわかる一つの方法だと言われました。私は、今回の学びだけでは答えがわかりませんでした。慎み深い心を持つこととはどのようなことなのか。しかし、探り続けることを忘れずに、これからも一生懸命学んでいこうと思いました。
 二つ目は、冒頭のサムエル記からの質問です。この個所の民ということについて質問がありました。先生は、これは親が子に対する愛と同じであると語られました。私はこの個所から、神の愛を実感させられました。私自身、神の憐みのゆえにその愛を知ることができました。御言葉にあるように、あえて神は、私を神の民とされました。そうでなければ、私はその愛の中に入る事の出来るものではありませんでした。しかし先生は、私のその行いを知りながら、見捨てずにいつも受け入れてくださいました。神の愛を私にも同じように教えてくれました。 この質問から、自分の救いをもう一度思い返し、感謝する時が与えられました。
今年は私たちの教会から、同じ若い世代の兄弟が、神学校への道が与えられました。兄弟は教会活動で、中心的に活動していました。その兄弟の担っていた部分を、教会の若者が積極的に取り組みました。その中で積極的に取り組む姿勢が、とても大切だと感じました。コンサートでは、心からの賛美をすることができ、東京で学んでいる兄弟にも喜んでもらえました。今年も半年が過ぎ、聖書を学ぶ会でも積極的に質問がなされ、豊かな学びが与えられました。毎月の学びで示されたことを、しっかりと覚えつつ、変わらぬ姿勢で神に仕えていきたいと願っています。

(執筆担当:森田 穏 仙台聖泉キリスト教会会員)