同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 神に近づく(25)—

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル 11:6)



  ヘブル人への手紙11章は、「信仰とはこういう働きをするものです」という説明で始まり、昔の人々はこの信仰によって賞賛されましたと続き、信仰によって賞賛された人々が列記されています。そして、そこに掲げられている人々は、信仰によってこういうことをしましたと書かれています。

・アベルはよいささげ物をしました。
・エノクは、ここには結果だけが書かれていて、行ったことは創世記にあり、300年神とともに歩んだと書かれています。
・ノアは家族の救いのために箱船を造りました。
・アブラハムは・・どこに行くのかを知らないで出て行きました。
以下次々と、誰々はこうしました、という記事が続きます。そして12章1節に、これらの人々は「信仰の証人」であって、彼らに取り巻かれている私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか、との勧めがなされています。

 冒頭のみことばは、エノクの記事の後に書かれていますが、11章の信仰の証人たち全体をさしています。彼らは神に近づきました。そして、信仰を持っていました。その信仰に神は応えられて、彼らに報いたのです。

 「神に近づく」ことに関する様々な事柄を考察してきましたが、ここにもまた決定的に重要な事が示されました。
神に近づくことと信仰は、切り離すことのできないものだということです。

私たちは何のために神に近づきたいのでしょうか。
それは、神を愛し、神を慕い、神のみ側近くにいたいからです。
「信仰」がそれを可能にすることがここに示されています。さらに神はご自身に近づく者に恵み豊かであるのです。