同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ナタナエルの弟子入り —


  先日、クリスチャンダイアリー・・クリスチャン向けカレンダー付き手帖です・・を買いに、ゴスペルショップ・オアシス仙台店(いのちのことば社の直営店)に行った。ついでにどんな本が出版されているか、並んでいる本のタイトルだけずらーっとみてみた。感じたのはなんとか聖書を読ませたいという苦心がそこに現れていることであった。楽しい聖書通読・・というように。そこで今回はナタナエルをテーマに、「楽しく聖書を読む」の仲間入りをしてみよう、ということである。

 聖書は間違いなく書物である。本を読むとき著者が何をいいたいのか読み取らなければ面白くない。よく行間を読むというが、聖書も行間を読むことによって楽しく読めるのである。それには推測が加わるのであるが、推測は真偽について灰色の世界である。しかし、灰色といっても一色ではなく、ほとんど完全に白から真っ黒に近いものまである。白なる推測は、聖書に書いてないけれどもそれ以外にはありえない、というようなこと、通常の灰色はそうとも言えるし違うかも知れない、(必要条件は満たしているが、十分条件を満たしていない)くらいの推測である。真っ黒というのは、聖書の他の記事で明らかにその推測が否定されている場合や聖書に書いてあることと違うことをそうだと思い込んでいる場合などがある。気づかずに堂々とその真っ黒推測を主張している人も珍しくない。

 さて前置きが長くなったが、本題にはいることにしよう。以上のような、推測に関する問題点を覚えつつ。

「ピリポは、・・・ナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」
そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」」
(ヨハネ 1:44-51)

これがナタナエルがイエスの弟子になった時の記事である。この記事は、ヨハネがイエスが神の子キリストであることを示すために厳選したできごと(ヨハネ 20:31)に含まれている。
 ナタナエルはピリポに「ナザレ出身の人」と聞いたとたんに、完全に馬鹿にしてかかった。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

 そこで、ナザレの町とはどういうものであったか聖書には書いてないので、考古学上のことは聖書学者の説明を参考にしよう。そのまま引用すると長くなるので、要点だけかいつまんで述べると、ナザレは海路と陸路をつなぐ交通の要衝であった。長い間船に乗っている船乗りたちが陸にあがる貿易港は風紀が悪いのが世の常であるが、陸路の隊商たちが集まる場所も貿易港と同じようであった。それでナザレは評判の悪い町になった。
ナザレを純朴な田舎町とばかり考えていたが、その思いが壊れてしまった。ナザレのイエスというとき、仙台の○○さんというのと同程度に呼ばれていたのだと思っていたが違った。

 もうひとつ「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」とイエスがいわれた「いちじくの下」とはどういうものであったかというと、個人の邸宅の生け垣で囲まれた庭に植えられているものであって、人目につかない隠れた場所であった。それでユダヤ人はいちじくの木の下に行って黙想することを好んだ。通りがかったら見えた、というような場所ではなかった。
イエスは自分の部屋に入り戸を閉めて隠れた所におられる父に祈れと言われたが、いちじくの木の下もそういう所であった。

 この箇所の記事では、「見た」というよりも「会った」ということに焦点がある。日本語では見ると会うに別なことばを当てるが、西洋では同一のことばを使っている。
 ナタナエルが黙想していた内容は、ヤコブがベテルで神にお会いした経験であったと考えられる。彼はそこで自分も神にお会いする経験をしたのであろう。
それで、さっきあなたといちじく木の下で会ったよとイエスにいわれて、けなしたナザレは吹き飛んでしまい「あなたは神の子です。」と告白した。
 イエスは、ナタナエルが黙想していたヤコブが夢に見た天使が上り下りしていた天にいたるはしごについて述べ、本当に会ったことを証明されたのである。そしてヤコブの見た天に至るはしごは自分のことであると付け加えた。

・・と推測する。
こんな聖書の読み方はいかが?