同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 信仰の戦い —

玉城 春恵


「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ 4:1)

  今年も半年が過ぎようとしています。この年は新型コロナウィルスの影響によって、日々の生活が揺り動かされる中にありましたが、教会では変わらず週ごとの礼拝、祈祷会を守らせて頂き、牧師先生より御言葉と祈りを頂きながら、ここまで守られ、歩みをなしてくることができましたことを感謝いたします。
 昨年もこの時期に巻頭言の原稿を書かせて頂きました。テモテへの手紙第二1章7~8節の御言葉をもって、保育現場への再就職を前に新たな決意で書かせて頂きました。
 昨年7月より働かせて頂き、まもなく1年が経とうとしています。日中、4時間という契約で始めさせて頂いたことでありましたが、職場の様々な問題、課題、保育士同士との保育感のぶつかり合いというものを目前にする中で、自分の立ち位置というものを悩みながらきたことでありました。
 そういう中で今は、週3回は保育士が不足する夕方勤務、週2回はデンタルクリニック内の託児所で働きをさせて頂いています。
 夕方勤務の2時間に関しては、学校、幼稚園を終えた息子たち2人を義父、義母にみてもらっています。家族の協力があるからこそ、夕方の働きをさせて頂けることであり、感謝しています。
 私は久しぶりの保育施設への仕事復帰に不安、緊張を抱えながらも、家のための収入を得るためにもなんとか勝ち取りたいという思いにありました。いよいよ働きが始まる週の日曜日、礼拝後に牧師先生に祈って頂きたくお願いしました。その時、牧師先生が祈って下さったことは、 「言うは易く、行うは難し。しかし、主が行きなさいというのだから私たちは行くのです。
それが、後に続く子ども達の為である。」と。
 私の思い・・・家のため、収入を得るため・・・という以上に、そのことを強く私のために祈って下さいました。

 職場の中にあって、若い職員の方々との関わりに苦しさを感じます。
また家庭と仕事を両立させていくことは、自分が思っていた以上に容易なものではありませんでした。しかし、その度に牧師先生が私に祈って下さった祈りを思い出し、主が私を召された場所であるとなお信じて、働きを続けさせて頂きたく思っています。
やがて、子ども達も救いに与り、信仰者として歩み出す時、必ずしも自分の願った道には行けないで、行きたい道とは違う所を通されることもあるでしょう。しかし、子ども達にも、そういう中にあっても、主を信じて雄々しく戦って欲しいならば、自らなお母親として、そこから逃げないで戦っていかなければならないと思っています。
 なお下半期、後半の歩みも主とともに歩ませて頂きたく願っています。

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」 (ローマ 12:1)

「神の人よ。あなたは、・・・ 信仰の戦いを勇敢に戦い・・・なさい。」 (テモテⅠ 6:11-12)

(仙台聖泉キリスト教会会員)