同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 神は罪を創造されたのか? —


 ひょっとしたことから、一緒に学んでいる皆さんと、神は罪を創造されたのか?というテーマを話し合う機会があった。
結論から先に言うと、
・いいえ、神は罪を創造されなかった。
・神が創造されたのは、「自由」である。
ということになる。
 以前、神は野の花ひとつひとつを創造されているというよりも、自然のシステムを創造され、自然のシステムの運行にまかされた、ということが話し合われた。
 神は世界の初めから終わりまでのご計画を持っておられることは明らかであるが、その実現には、自然のシステムの運行を用いられる。自然は、神が設定されたプログラムに従って進行していくことであろうが、しかし、そこに「偶然、たまたま」ということ起きる自由度を置かれた。例えば、完全に密閉した箱の上部から、力を加えずに羽根を落とす。同一の羽根を繰り返し落としても、同じ所には落ちないのである。もし羽根でなく、重い球を落とすとほとんど同じ位置に落ちるが、厳密には全く同じ位置には落ちないのである。全宇宙で起きているすべての事象が、水面の浪の模様のように2回全く同じことが起きないような出来事の集合で成り立っている。
 自然界の一部である動物は、神が動物に与えた本能と共に、思考力をもち自分の考えで自由に生きている。動物には自然現象よりもっと自由度がある。
 神は人間を自然界に属する体と、霊界に属する霊の両方を持つものとして創造され、この自然の中に置かれた。それで人間は、動物が持っているのと同様の・・能力が動物に優っているのでもっと大きい・・自由度を持ち、更に霊的な自由を行使できる。
自然がそのシステムによって運行されているのと同様に、神は人間の世界にも大枠の枠組みを決めただけで、人間が自由に生きるように定められた。
 ノア、アブラハム、ダビデのような人物は、神がその目的を達成するために特別に選ばれた人物であって、すべてのひとがそのように選ばれているのではない。
 この世界には人間の他に、天使と悪魔と悪霊たちという霊の生き物が存在する。
天使がいつ創造されたのかは、聖書に「はじめに」と書かれた時以前であるのか、以後であるのか不明である。しかし、天使も自由な生き物として創造された。
 最高位の天使が手下とともに神に背いたことが罪の起源であると思われている。そしてエデンの園で人間に罪が入ってきた。
 神が世界の運行にあたって、野の花のひとひらにも都度関与しているような仕方で世のすべてを運行されているなら、そこには一切の自由は存在せず、神は罪の創造者であることになる。人間の行動の一切が神の定めた通りであるなら人間の罪も神の責任となる。人間が自由であるから罪はその人の責任になるのである。