同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— スポルションの牧会入門 —


「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。・・・ ですから、目をさましていなさい。・・・ いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒の働き 20:27-32)

 スポルジョンの説教は定評があり、本として出版されたものが多くのキリスト者に読まれていることはご存じの通りです。
 タイトルに掲げた「牧会入門」は、彼の神学校における主の働き人を目指して学ぶ学生に対する彼の説教です。
 私がなんでこの本を持ち、読んだかというと、「聖泉神学塾」で牧会学を学んだことがあるためです。故中野斉子先生と同級生で、既に働き人であった中野先生は卒業証書、私は教役者にならない予定だったので修了証書を頂きました。
蛇足ですが世の学校の、大学院の修士課程、博士課程では卒業といわないで修了といいます。
 塾の先生は、山本岩次郎牧師、小嶋彬夫牧師、中野貞行牧師で、山本先生が「牧会学」を担当してくださいました。山本先生は割合早くパーキンソン病を患われたので、恐らく私の後には、神学塾で直接山本先生から教えて頂いた人はいないでしょう。  山本先生が選んだテキストが、スポルジョンの「牧会入門」でした。

 スポルジョンは説教で、一般の信徒向けのものであってもバプテスマのヨハネのように容赦なく語ります。
神の教会の働き人にはもちろんいっそうきつく、あなたがたは神に選ばれてその勤めをする者であるから、その品性において、平均的な信徒と同等であってはならない、成熟し進歩したキリスト者でなければならない、という視点で語ります。

「神は多くのキリスト者の中からあなたがたを選んで、神の教会を牧させ、他の人々はあなたがた従って生きるように定められたのである。だから、

・教役者は、まず自分が救われていなければならない。救われていない働き人ほど恐ろしいものはない。
 まず自分を愛し、自分を救え。神は自分を愛すように隣人を愛せといわれたのである。

・教役者にとって次に重要なことは、その信仰生活が、力強く、活気に満ちたものであることである。
説教はまず自分に対して語らなければならない。
 教役者には力強い敬虔さが必要である。なぜなら教役者の地位ほど誘惑の多いものはなく、私たちの危険は、他のひとびとの場合よりはるかに大きいのである。もし教役者が失敗したらその影響は一般の信者よりも遙に大きいのである。

・教役者は、その人格のあらゆる点において、その牧会活動と一致するように心がけなければならない。
自分が説教に語る通りの人でなければならない。自分の人格以上のことを語るのは偽善である。
自分が説教している通りに生活しなければならない。生活によって一日中説教しているのである。多くの説教者が講壇に立っているときだけ教役者であるが、講壇を降りたとたんに教役者でなくなる。」

 このようなことが冒頭から語られます。

以下は末尾にあるこの本の紹介文です。

「スポルジョンの略歴と本書について」 チャールズ・ハッドン・スポルジョンが1850年の雪の降る日曜日、故郷の小さな教会で悔い改めて、イエスを救い主として信じた*1)のは彼が15歳の少年の時だった。この事実が今日まで世界に及ぼした影響の大きさを当時のだれが予測できたであろうか。組合教会の牧師ジョン・スポルジョンを父として生まれた彼は、洗礼を受けた後、平信徒伝道団にはいり、16歳ですでに最初の説教をしている。17歳にウォーター・ピーチの小教会の牧師となり、1854年4月いは、ロンドン有数の教会ニューパーク・ストリート教会の正牧師に推されて就任した。以後、1892年1月の召天まで教会員は1万3千人を越え、彼の建てた神学校、孤児院での主のみことばの実践、そして多くの著作によって救われたたましいは、全世界にわたり数え切れないほどであった。本書はその神学校における深い愛と体験に裏付けされた講義の集注的な訳出である。」
(発行:聖書図書刊行会、訳者:松代幸太郎、発売:いのちのことば社、1976)
*1)本誌、261号(2021年7月発行)回心物語:

  • http://dorosya.net/261/kaisin.html
  • に詳しくでています。
     山本岩次郎先生はジェファーソンの「教会の建設」を座右の書としていました。
    「教会の建設」の最後に建設者の建設という章があり、その一番最後に「説教者を育てる教会」という節があります。
     「教会は説教者の学校である。教会は説教者の病院である。ここで彼の病気は治療される。教会は説教者の戦場である。ここで彼は神と人の敵と戦うことを学ぶ。教会は説教者の家庭である。ここで彼はクリスチャンの徳を養い、クリスチャンの品性を身につける。彼は人々のこころを縫い合わせる。と同時に彼もその同情心を拡大し、情愛を豊かにする。」

     主の働き人たちは、同じ働き人たちを「同労者」と呼びますが、本当の自分の「同労者」は自分の教会のなかにいます。自分の牧師がスポルジョンのいう牧師に相応しくあるために、私たちの協力が必要です。ですから私たち(信徒)は自分の教会の働き人の「同労者」でありたいのです。

     またもし家庭というものを考えるなら、一家の長として家庭を治めるひとには、規模は小さくても、教会を牧す働き人たちと同じことが求められます。

    ですから、皆さんも本書を読んで見てはいかがでしょう。