同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 世に関する神のご計画について (4) —

「神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ 9:15-16) 「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。」(マタイ 20:15) 「では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。」(ローマ 9:30-32)

3.無条件の選びに関して
 神の聖定によって救いに選ばれるのか、 信仰を条件として救いに選ばれるのか。

 無条件の選びとは、「キリストを信じる」という条件と関係なく選ぶという意味で、「一方的神の恵み」という表現がこれをさしています。「キリストを信じる」ことが選びの条件であれば、神の一方的なものではなく人間の側の応答が加わるからです。

 極端なカルヴィン派は、「ある者を救い、他のものを見捨てるという聖定」、「救われるひとと見捨てられるひとを創造する聖定」、「救われるひとだけに救いを備える聖定」という教理をウェストミンスター信仰告白第3章の聖定から展開しました。
「第10章 有効召命についてにそれが示されています。1(要約)命に予定された人間を、そして彼らだけを、有効に召命し、心を霊的に照らし、石のこころを取り去り、肉の心を与え、その意志を新たにし、善に向かって決断させ、イエス・キリストに引き寄せる。彼らは自発的に自由にくる。
4(要約)命に選ばれていない他の者たちには、助けが与えられず、救われることはない。
第11章 義認についての要約、神は有効に召命したひとびとを義とする。そして義としたものを赦し続ける。したがって義とされた者は滅びることがない。」とし、自発的に自由にくる」としていますが、聖定によるので、その自由はロボットのようにプログラムされたとおりに生きることを意味します。
 恐らくローマ人への手紙、9章10-13節に
「その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。」
と書かれていることを、すべての人の救いがそのようにされる、と読んだためでしょう。
しかし、それは神が「自分のものは自分の思うようにする」と言っているだけで、すべての人をそれにあてはめるとは言っていないのです。ローマ人への手紙の9章から11章まではまとめて読んで、そこでなにを言いたいのか把握することが大切です。
結論は、「神は絶対的権威をもっておられる。その権威によって、イエス・キリストを信じる者を救うことに決めた。」と読み取れます。

 アルミニウス派は、
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(テモテⅠ 2:4)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3:16)
特定の人を救うような「予定」はなく、全ての人の前に、「イエスを信じなさい。そうすれば救われます。」という恵みが展開されていると信じます。

 ルーテル派の神学者の著書に「ルターも予定を信じた」と書かれていますがアウグルブルク信仰告白には、そのような「予定」を信じるとは書かれていません。
 極端なカルヴィン派は「救いに予定した」ひとだけに「有効召命」を与え、聖霊が働かれて、覚醒させ、認罪を持たせ、イエス・キリストの贖罪を信じさせ、罪の赦しにあずかり、新生のいのちを与え、その心に聖霊をお与えになる、とします。
 アルミニウス派、ルーテル派はおなじことがすべてのひとに起こりうるとします。
 この点についても、「極端でない」カルヴィン派であるためには、「予定されたひとの有効召命」と「すべてのひとの有効召命」の両方を信じることになるでしょう。

 カルヴィン主義ではもう一つ、聖定でない世の進行において、信じることを予知した人を救うということも言います。しかしその「予知による選び」の概念の根底は、人間が選ぶのではなく神が選ぶことです。従って、信じると予知した者を「神が救ってしまう」ということは、聖定による救いと変わりません。

 アルミニウス派は、聖霊が人間に信じる能力をお与えになり、人間の側がいのちを選ぶと信じます。 「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」 (申命記 30:19) 
神はできないことをお命じになることはありません。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒 16:31)
 極端なカルヴィン派の主張を捨てずに穏やかなカルヴィン派であるためには、「神が命に予定したひとびとだけを一方的に、無条件で選ぶこと」と「イエス・キリストを信じるすべての人を選ぶということ」とを同時に信じることが必要です。イエス・キリストを信じるすべての人を選ぶということを捨てると、極端なカルヴィン主義にいきつきます。