巻頭言
— 神と共に —
齋藤 優子
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒 16:31)
今年は教会のメッセージの主題として
”主の時を知る”と題して礼拝説教が語られています。
パウロの回心からメッセージが始められ、イエス・キリストが行った多くの奇蹟のみ業によって、神を知ることができるようになった人々を通してもう一度神が何をなされたかを知らさせて頂いています。
ヨハネの福音書3章17節には、
”神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。”
と書かれています。
私たちはどちらかといえば、”世をさばく”という言葉の方に恐れをもってしまいやすいことですが、イエス・キリスト、神の御子の使命は、御子によって世が救われるためであって、そのために御子は世に遣わされたのだということを、あらためて心に刻み込む御言葉となりました。
そして自らのことも、思いおこす時に、救われる前にもっていた心のむなしさも、また世の中の価値観のズレも神を知る道へ導かれていたことを思うことであります。
本当の神を知らないでいる時に心にもっている罪の暗さが自分を形造ってしまい、そこから解放されないものが何と多いことでしょう。
パウロの熱心さにおいても、38年病にかかっていた人においても、神はそのきっかけ(自分を変えることができる)をその人の出来事として置いて下さっていることです。それを神のみ業としてとらえて信じて歩んでいくかどうかは、その人が神の真実を見た時に信仰に立つかどうかにかかっていることだと思います。
私も救われた時に、
「自分の生き方として神と共に歩むことを選んだ」
のははっきりしています。
しかし、全てがわかっていたわけではありません。そのことが分かるまでは、わからずに従っていたこともありますし、迷うこともありました。神のご忍耐を覚えて感謝しております。
この年、私達夫婦にとりましても、与えられたのは”整えていく”ことでした。
コロナ肺炎という病の影響によって、多くのことを整理していく時が与えられ、マインスというよりも生活の営みや健康などを通して向き合うことができ、私の中では、リセットしていく時だということを捉えて歩まさせて頂いています。そして思うことは、神は”時”を私達のために備えて下さっているんだということを知ることができたこと、そのことによって神の恵みが増し加わっていることをこころから感謝しております。
「祈っている愛するものたちの上に神のみ業がなされますように。
神のみ救いがあらわされますように。」と、
尚、祈っていきます。
”「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。”
(コリントⅠ 2:9-10)