同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— オンライン会議に参加しつつ  —

石井 和幸


「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記 4:14)

 最近、コロナ禍の影響もあり、オンラインで人と会う機会が増えました。私は教会が加盟する連合の会議や、超教派団体であるキリスト者学生会(KGK)のミーティングや祈祷会にZOOMなどを使って参加しています。従来であれば対面で行っていた親戚や知人との交わりを、オンラインにて行う場合もあります。
 ともに参加される方で、「オンライン集会の参加は1時間だけにします」「オンライン会議は(疲れるので)1時間以内にしましょう」とお願いされる方が何人かいらっしゃいますが、実際に参加してみるとその気持ちが理解できます。限られた時間、画面越しの話し合いを誠実に行うために、私は「できるだけ堅くならずありのまま、自然体でいる」ように気を付けています。「1時間のオンライン会議で伝わっただろうか?限られた交わりで意思疎通が出来たのだろうか?」と思うときもありますが、オンライン集会の最後に(何としても伝えたい)と思って発言した一言をちゃんと覚えてくださっている方がおられたり、実際に対面でお会いしていないのに「石井さんはこういう人です」という感想を伺ったりすると感謝に思います。
 私たちの教会では、山本咲副牧師が礼拝にてエステル記の連講をされており、先日はモルデカイの「愛の迫り」が(直接顔を合わせてはいませんでしたが)しっかりとなされたことによって、エステルが神の意図を捉えて信仰による決断をしていく姿が語られました。また創世記24章では、「イサクのしもべ」の信仰によって、リベカが一度も会ったことがないイサクとの結婚を決意する出来事が記されています。
 依然として社会はコロナ禍との対峙、感染対策をとりつつ共存するための模索が続いています。私自身の日常でも、せっかく人と接しても時間や範囲を限定されて、(本当は食事でもしながらもっと交わりを深めたい)と思うときが多く、限られた時間、範囲でしっかり自らが伝えるべきことを簡潔明快に表現する必要・プレッシャーを感じます。キリストの福音を伝えたいと思う人に、証しができるチャンスが与えられるのは今の情勢においてはある意味「一瞬」かもしれない、その瞬間に自らが誠実に臨むことができるか、神からの促しを示されております。神のみこころを求め、自らがその使命を果たすことが出来るように祈りつつ励みたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)