同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 主にある兄弟を迎えて —

石井 和幸


「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」(ヤコブ 4:8)

 5月3日、私たちの教会で長く祈りがつまれた姉妹の結婚式が祝福のうちに執り行われました。今回姉妹と結婚された兄弟が横浜市の教会から私たちの教会に転会され、教会員一同とても幸いな交わりが与えられています。
 「主の導きによる結婚が与えらますように」との教会員一同による一致した熱心な祈り、結婚式までの準備、式にかかわる奉仕、後片付けに至るまで、教会員それぞれがお互いを敬い、認め合い、謙遜に仕え合う姿がありました。結婚された兄弟も、ご自身の証しにてそのことを感謝しておられました。
 私たちの教会は、一枚岩の教会だと思います。教会を構成するすべての人が、そのときその場で主に遣わされた人に喜んで従い、助け合っています。結婚式の時もそのような姿がありました。もちろん、歴史上、苦難や困難が無かったわけではなく、歴代の牧師が様々な労苦のなかを通られ、そのなかで従順を通した私たちの先輩である役員がおられたことも聞いています。
 今年、私たちの教会では「主は我が礎」と題して礼拝にてメッセージが語られています。そのなかで、
①御言葉を間違って捉える 
②自分は御言葉の通り正しく実行できている、自分を正当化する・・・このような「勘違い」をしないようにと教えられています。
私自身は、ともすれば聖書の御言葉やメッセージを自分の都合のいいように解釈してしまう傾向性があります。今まで何度もひとりよがりになり、孤立してしまっている、先に書いた先輩方の姿とは程遠い自分がいます。
 勘違いしたまま、矯正されない姿勢は信仰を継承すべき子どもたちに大きな影響を与えてしまいます。私も、もういちど「主を自らの礎」とし、キリストの体である教会の一員として遜って仕えたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)