同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 婦人会の恵み —

茂永 和子


「わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。神と人との前に好意と聡明を得よ。心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言 3:1-6)

 この年も早4か月が過ぎ、だんだんと暖かくなり教会の活動も活発に行われています。
 私たちの教会では礼拝、祈祷会の他に定期集会として行われている中に「婦人会」があり、春と秋の年2回持たれています。  婦人会はそこに集う一人一人が、それぞれ与えられている家庭において、子育てであったり、隣人との関わりを中心にお証しがなされ、分かち合いの時が持たれます。
そして最後に牧師先生が一人一人にコメントしてくださいます。
 教会の中で共に歩んでいる姉妹たちの、置かれている信仰の現場での感謝や祈りの課題、悩みながらも取り組んでいるお証しを聞かせていただく時に、いつも力が与えられます。
 私も主人との結婚が与えられてから20年以上が経ちますが、山あり谷ありで決して平坦な道だけではありませんでした。今振り返って見ると、結婚当初はあまり深く考えずに安定だけを望んでいたような者でした。
 しかし神様は、いろいろな困難や試練と思えるところを通しながら、求めること、考えること、委ねることを教えて下さっているのだと思わされます。
 先日の婦人会では、なかなか難しい人格との関わりや取り組んでいかなければならない事柄、祈りの課題などを語らせていただきましたが、先生からは、いろいろとすったもんだやガタガタすることがあるからこそ本気で祈り求め動き出し、そこに神様が働いて下さり、今まで経験したことのないものを経験させられ豊かに導かれて来ていることを語って下さいました。
 もう一度、先生を通して語って下さることにうなずきを与えられながら、共に愛する方々と歩んで行こうと思わされました。
年齢を重ね、だんだんと自分の守備範囲が狭くなり、いろいろなことが面倒になってしまっていることを感じる者ですが、その集会の中で語られていたメッセージの中に「関わることの苦を乗り越えて、その人の信仰を知ろうとする努力、その人ってどういう人なんだろうと関わる時に、今まで見えなかったものが見え、その関係が豊かにされていく」ということが語られていました。
 語られていることに心を留めながら、日々を歩ませていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)