同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(40) —

野澤 睦雄


「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ 4:6-7)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <祈り>
 神は「あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」とご自分からいわれています。私たちの願い事の多くは、生活している中での事情から起きてきますから、それぞれみな違っています。しかし大枠のテーマもありますから、それを拾って見ましょう。

「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」 (歴代誌Ⅰ 4:9-10)
 これは自分のための祈りです。神は自分のために祈ることを嘉(よし)とされています

「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。」(ヤコブ 5:16)
 信者はお互いのために祈りなさいといわれています。

「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(エペソ 6:19-20)
これはパウロが自分のために祈って欲しいと求めているところですが、この求めは凡ての働き人の求めであるべきです。ですから私たちは自分の教会の働き人をはじめとして、福音を担っている各教会の働き人たちのために祈るべきです。

「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」(ヨハネ 17:20-21) イエスは最後の晩餐の席で弟子たちのために祈られましたが、そのとき「彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも」といわれました。弟子たちによって救われる新しい信者のためにです。今の私たちも救われたての信者のために特に祈って彼らを助ける必要があります。

「キリストがそうされた(教会を愛された、ご自身を献げられた)のは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ 5:26-27)
 私たちはキリストが愛されたすべての教会のために祈るべきです。そして教会に属するすべての信者のために祈るべきです。

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ 6:28)
 私たちは私たちと共にいる信者でない人々のために祈るべきで、さらにその人々が私たちを呪う人々であっても祈るべきです。
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」(テモテⅠ 2:4)るからです。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(テモテⅠ 2:1)
私たちは政治を司っている人々の為に祈りなさいといわれています。私たちが威厳を持って平安に過ごせるようにとその理由が付け加えられています。

(仙台聖泉キリスト教会員)