同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 成長 —

森田 心

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。・・・信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」(ヘブル 13:1、2、31)

 教会学校の生徒達とお菓子を食べながらお話しをするときがありました。その楽しい時間の中で生徒達がやっている劇のことが話題にあがりました。一番最初に劇に出た先生がとてもおもしろかったとか、こんな役をやったとか、こんなセリフがあって大笑いしたこととか、何年も前にやったことをついこの前の時のようによく憶えていると思いました。“はじめたのは僕が小学校3年生の時から”と言っていた青年がこの春から高校生になりました。年に2回ずつ発表しているので長く続けてきたと新ためて思わされました。 途中、節目の時があって、続けて行けるのだろうかと思った時もありましたが、牧師は変わらずに続けて行く道を備えて下さいました。
 はじめは、子供達もみんな小さかったのでどのようにやっていいのかわからず、儘子先生が1人1人セリフの読み方から声の出し方、振り付け、讃美と細やかに指導していました。けれども、最近はみんなの呼吸もぴったりで、間合いも、技量も増してきました。昨年から9人のメンバーの年長の2人がシナリオの時から関わって、手がけ、劇の練習から完成(本番)まで自分達で形作ってやるようになりました。どのようにやるのか途中気になりながらも大切な所は口出ししないように自分に言い聞かせながら、どんな出来上がりになるのか見て来ました。 もう十分で不足が無くなったので教会学校の教師の側が手を離したのではなくて多くの期待を持って初めから終わりまで彼等の手に託し、更にそのメンバー1人に多くの責任を委ねています。やめないで続けてきたのはここからだと言ってもいいほど大切な所に来ていると思います。
 それぞれの個性や、自由さ、楽しむことなどが良さを引き出し、良いものが出来上がると言われたりしますが、しかし中心に福音が現されていなければ違うものになってしまいます。ですから、聖書の人物を取り上げながらそれを毎回1人の責任ある役の者に託し、信仰の告白として現してきています。彼等の真中に十字架があって、そこに皆が生きる時がくることを信じて、その為にもこの劇の働きも用いられて続けていることを望んでいます。この4月にも伝道会でラハブを取り上げて劇がなされます。祈りつつ主の御助けを信じて。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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