同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 信仰生活の中で思うこと —

山田 行

「無精者は獲物を捕らえない。しかし勤勉な人は多くの尊い人を捕らえる。」
(箴言 12:27)

 「面倒くさいな」と言わないことが今年の私のテーマの一つになっています。生活することは面倒なことばかりですし、まず人と共に生きること自体が良いことも沢山ありますが、わずらわしいこと、面倒なことが沢山出てきます。今の時代は個人主義であると言われています。結局は人と関わることは面倒くさく、自分の想いどうりにいかないので、できるだけ最小限にしか関わりをもたないということのようです。 「若い人たちも恋人を作るというのも面倒なので別にいらない。」という人たちが増えているそうです。まして結婚して家庭を持つことなんてどのように思っているのでしょうか?  私も子育てをして思うことは「忍耐」の大切さです。思うようにならない人格と向き合っていくにはそれぞれの子供のペースと関わり合いが必要です。自分が思ったとおりにすぐに変わるはずも無く、繰り返し同じ事を伝えたり、時にはきちんと是正させたりと、また多くの人たちに関わってもらって育ててもらう部分もあります。神を信じて救いを頂いて、信仰者として生きてほしいと願えば願うほど、親としての忍耐の祈りは不可欠であると思います。時に「あ~面倒だな、疲れ果てるな~」と思うこともあります。しかし、私自身がどれほど家族や教会の人たちの面倒になってきたか思うのです。まして神には私のような自己中心の強い者は、どれほど面倒くさい者でありましょう。「あなたとの関係はもう止めます。」といつ言われてもおかしくないようなそんな小さな者に、どんな時も見捨てずに共にいて忍耐してくださっていることを感じるのです。だから私は「面倒くさい」と口にしないように、与えられた事柄一つ一つを大切に成し遂げていくようにと願うのです。時に自分にとってあまり価値の無いことのように思えることも、その仕事をどのようになし続けるかによって自分にどのような影響を与えるのかが大事でその積み重ねで成長になるのだと思います。  わたしの母は、「天に宝を積みなさい」と言いながら私たち子供を育ててくれました。教会の御用や伝道の働きは特に見えるものとしての実りが少ないし、時に自分がしなくても良いのでは?と思うことがあるのですが、この母の言葉を思い出して、自分の利益や人のことだけに目を向けるのではなく神を見上げて私たちは働くのだということを思うのです。面倒くさいことを感謝して喜んで生活できれば幸いです。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict