同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 祈りの難しさ —

山田 行

「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ 4:2)

 祈ることの出来る生活はとても感謝です。しかし時に祈ることの難しさに落ち込むこともあります。それは、上記の御言葉にある「たゆみなく」祈り続けることです。苦しい時、問題があるとき、私たちは神に迫る勢いで熱心に祈ります。また時に申し訳程度に祈る時もあります。食事の時などは習慣化されいつも同じです。しかし「目を覚まして」といわれています。まさか、眠って祈ることは無いでしょう。目を覚ますというのは心の目であって、そこにはきちんと神を目の前において私たちは本当にひれ伏して、へりくだって祈ることだと感じました。祈りは食事や呼吸のようなもの。と例えられますが、祈りは自然に出来るものではありませんし、やはりどこかで祈りたくない自己と向き合って戦わなくてはいけない時があります。いつまでたっても、お願い事があるときだけ熱心な、自己中心な祈りしかできない者になってはいけないと思いました。目をさまして、心から感謝を捧げること、そしてたゆまない祈りにたってこそ正しく神の言葉を語ること、私たちの証を子供たちに伝えることが出来るのだと思います。「今私のために祈ってください」私は教会の中でこのことをお願いするときがあります。自分の祈りの弱さを知っているからです。教会が足りない自らの祈りを共に担っていて下さる感謝と同時に私も隣人の祈りの助けと教会の祈りの助けを担えるものとなりたいと願っています。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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