同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 同労者10年を感謝して —

野澤 睦雄

「そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」(サムエル記I 7:12)

 同労者、誕生からついに120号を重ね、発行10年となりました。原稿を書いてくださった方々、写真を提供してくださった方々、費用をささげてくださた方々、製作や通信の労を担ってくださった方々、そして、これを読んで喜んでくださった方々に感謝の他ありません。
 いきさつに触れますと、「私たちは主の働き人たちの同労者を目指し、そのためにお互いに研鑽しましょう」という目標にたいし、取りあえずできることから始めようとした本誌でしたが、他は実現せず本誌だけが残りました。
 編集者としての責任を果たす仕事をさせていただきましたが、私には人生の悩み事が一度に押し寄せたかのような10年でした。それをなんでもあからさまに出すという訳にはいかず、「涙の谷」という詩に婉曲的に表させていただきました。そのような中にあっても継続する価値のある働きをしたのだろうかと自問してみますが、おそらく膨大な信仰のよい資料ができたことがその答えであることでしょう。
 例えば、同労者のホームページの「証詞」の欄を開いてみるならば、数多くの方々の救いの証しがそこにあります。一人の証しでは、イエス・キリストがどのように人をお救いになるのか、十分には分かりません。しかし多くの人々の証しをひとつにすると、イエスの救いの素晴らしさを語る大合唱となります。ある兄弟は、同労者に掲載されているお母さんの救いの証しを「母の遺言だ」といってくださいました。姉妹の信仰の足跡がそこにあるからです。
 巻頭言には、兄姉の信仰の生々しい戦いの現場が顕わされています。私たちは、「信仰によって生きる」ことをしているのです。自らの信仰の馳せ場のひとつとして、子供に信仰を伝えたいとの願いを実現するためにどんな工夫をし、どんな戦いを戦っておられるか、かいま見ることができます。もし私たちが注意深くこれを読むならば、自らの子供に信仰を継承するための数多くの知恵を得るでしょう。また、教会通信には、教会を挙げて同じ工夫をしていることにあふれています。
 同様に他のコラムもそれぞれ恵み豊かです。隅々まで読まれたら、働き人の同労者に必要な信仰の基礎と実際面の知識を、豊かに持つ人になれると思っています。
 この10年、私自身には神とご協力いただいた皆さんへの深い感謝が残りました。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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