同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神のしもべ —

齊藤 望

「私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(コリント II 6:3-10)

この聖句は今年与えられたものです。この中で「神のしもべとして推薦しているのです。」と書かれてあることについて、この一年励んでいきたいと願っています。様々な関係の中で神のしもべとして歩むことの大切さと大変さを思うときに、自分の置かれている立場でどの様に信仰生活をしていくのかをパウロの書簡を通して教えられることが数多くあり、祈らなければならない事など感じます。
去年より何十年ヵ振りで教会学校の教師に任命されました。前回までとは違う大人だけのクラスです、ほとんどの方々が信仰の先輩であり、長い人生経験を持ってらっしゃるだけに、私は何を教えることが出来るだろうかと不安でしたが、野沢先生(CS教師)の指導で「イエスの個人伝道」のテキストを学ぶことにより、信仰の先輩方のお証しを伺うことができ、自分自身の信仰生活を問い、「救い」に導かれるポイントを知ることができ、感謝しております。個人伝道を他にするよりもまず、子供たちにすることの大切さを、長い間に渡って教会として、牧師として、説教されてきたこと、それが命であったこと、また親としてどこに目をつけていくべきかを改めて教えられました。
信仰生活を生きるために、第一として「神のしもべ」であることをすべてにおいて優先させることが鍵であると思います。このことが神によって導かれ、生かされ、喜びのある信仰生活を送るためにも、多くの困難に打ち勝っていくためにも、子供たちに知ってもらわなければと祈っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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