同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神が関わって下さることを願って —

齊藤 優子

「主はモーセに仰せられた。『なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』」(出エジプト記 14:15)

 6月30日は、教会の創立記念の時であり、教会ではちょうど月1回開かれている聖書研究会の日でした。その日私はある兄弟からの依頼で、初めてこの聖書研究会の司会をさせて頂くことになっておりました。
 ところが前日からお腹が痛いと言っていた長男が、薬を飲んでも、朝になっても痛みが止まらないため、私は会社に電話で事情を説明して午後から出社しますと連絡し、急いで病院に連れて行き診て頂きました。結果は急性虫垂炎という診断で、すぐ手術が必要であると言われました。

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 夜8時近くに手術が始められ、無事終えることができました。そして、手術後の経過が良好であれば、5日位で退院できますよと病院の先生からいわれました。けれどもその時長男は、”ミルフィーユのコンサートに間に合うかなあ”と心配しておりました。長男にとっては初めての手術であり、不安も沢山あったとは思うのですが、手術をしたのが火曜日で、コンサートは次の日曜日なので、5日後に退院となれば、練習はおろか本番さえも危うくなると考えていました。
 私はとにかくきちんと治して欲しいことを告げ祈っておりました。長男には、思いもよらない出来事であり、試練でした。教会では、先生はじめ兄弟姉妹の方々にお祈りをして頂き、支えていただきました。
 そういった中、長男は日を追うごとにあせりが出て、さらに信仰に迷いが出始めているのに気付きました。私はかかわっている者として、このままでは良くないことを感じ、なおも祈っておりました。その週の木曜日の祈祷会において、山本嘉納先生が出エジプト記を話しておられ、冒頭の御言葉が開かれました。その箇所は、モーセとイスラエル人の民たちが紅海を渡るシーンの所です。モーセはその大きな責任の中で、何度も何度も祈っています。後ろには敵であるエジプトの軍がおり、前には紅海が立ちはだかっている中、なおも神を信じて祈り続け、神とのかかわりが繰り返されています。そしてついに神によって道が開かれました。
 私は導かれるように長男にメールをし、祈祷会に開かれた御言葉とメッセージを送りました。その信仰を長男は受け取ることができると信じました。
 その後、病院の先生に退院の許可を頂き、本番にはイスに座らせて頂きながらも、伴奏の御用を無事果たすことができました。心からホッとし、感謝しました。
 世の中からみれば些細な事であり、反対になぜそんな事までしてやるのか、と責められるかも知れません。もちろん状況によりますが。けれどもその小さな信仰が、神と歩む道の中で、見えない神とのかかわりであり、信仰の確信につながる大切な所です。モーセのように、その道が開かれるまで、どんな時にも祈り続けることができるように、日々歩ませて頂きたいと願っています。

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(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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