同労者

キリスト教—信徒の志す—

一度は原書を読みたい本

 - チャールズ・エドワード・ジェファーソン:偉大な教えを説教した人 -
Charles Edward Jefferson: Preaching the Great Doctrines.
By John Bishop.

(ウェスレーの「キリスト者の完全」の掲載を終わりましたので、次に「教会の建設」の著者として知られる、ジェファーソンの「キリストの品性」(The Character of Jesus)に取り組みたいと思います。本文を掲載する前に著者ジェファーソンの略伝をご紹介いたします。
出典:http://www.preaching.com/resources/past-masters/11565529/ 編集委員)

 チャールズ・エドワード・ジェファーソンは1860年8月29日、バージニア生まれのミルトン・ジェファーソン博士と彼の妻エラ・サチェットの息子として、オハイオ州ケンブリッジのガーンジー島で生まれた。彼の家族はメソジストであって、チャールズは1882年にオハイオ・ウェスレアン大学を卒業した。彼はオハイオ州ワシントンの教育長を2年間務めた後、ハワード大学で法律を学ぶためボストンに行った。
 その時点では、彼は教会やキリスト教にはあまり興味を持っていなかった。しかし、彼はある晩、フィリップス・ブルックスの説教を聞きにトリニティ・チャーチに出かけた。
「とうとう私は真の説教者を見いだした」と彼は言った。
「私は西部の友人たち全員が彼の説教を聞くことを望んだ。私は、彼らがボストンに住んでいないことが残念だった。私は彼について皆に話すことを熱望した。」
 1931年の彼のトリニティ・チャーチでの説教で、彼は彼の英雄説教者について語った。
「すべての説教がキリストの霊によるバプテスマを受けている。彼のテキストが何のことについてであっても、彼が説教を終える前に、私たちすべてがキリストの審きの座に立っていると常に感じた。」
 今や彼は説教が何であるか理解し、まだ疑いに満ちた懐疑論者であったにもかかわらず、彼は説教者であることを望み始めた。彼はブルックスに面会し、その1週間の後に牧師になる決意をした。彼はボストン神学校で3年学んだが、その間にいつもブルックスの説教を聞いて、彼の教授以上にブルックスから学んだ。「彼は私の内なる火を燃え上がらせた。彼は、私に神人間そして私自身を信じさせた。私は今までに44年間説教してきて、ちょうど彼がトリニティで説教した年々の2倍になるが、これらの年月の間常に彼の顔が私の眼前にあり、彼の声が私の耳にあった。」
 ジェファーソンは1887年にボストン神学校を卒業し、その年の9月にマサチューセッツ州チェルシーの会衆派の教会に招聘された。彼はブロードウェイ大会堂の牧師になるため、1898年にそこを去り、--ブロードウェイ大会堂は現在のブロードウェイ会衆派教会である--ニューヨークに31年間とどまったが、1930年に引退して名誉牧師になった。
 ジェファーソンの伝記あるいは自叙伝はない。
 彼の召命に対する全き聖別された献身は、彼の伝記作者を絶望させる。つまり、彼のライフワークのあり方は、あまりにも単純で長い話を必要としないのであった。伝記作者はドラマを好むのである。だが、ジェファーソンの一生に関するドラマは、見た目には彼が説教を語るために説教団に昇ることであったが、それは人に隠れた時間を過ごして備えられたものであった。彼は彼と同時代のいかなる偉大な説教者にもまさって、研究と説教と執筆に時間を費やした。
この事に関して、彼はマンチェスターのアレクサンダー・マクラレンに酷似している。彼は、そのイギリスのそっくりの人と同様に、ジェファーソンはたった2つの教会で奉仕したが、マクラレンと同じように内気で、引っ込み思案で、みなりは質素であった。彼らはその品性とキリスト教の規範においては共に清教徒であった。彼らのその深い真摯さは、そのすべての説教と出版された仕事を通して明らかである。
 説教はジェファーソンにとって職業以上のものであった。それは神から委託されたものであった。彼は自分の牧師職を単なる課業としてではなく、神が与えたもうた特権であり、世界最大の仕事であると見なした。彼は地上の他のいかなる地位につくことよりも、ブロードウェイ大会堂の牧師でありたいと宣言した。
 彼は説教を牧師の最も重要な任務と考え、彼が毎日一生懸命学んでいることは、ひとえに聞くに値するメッセージを携えて講壇に立つためであると信じていた。
 ジェファーソンは学究の人であった、そして彼は努力によって彼の簡潔かつ巧みな説教スタイルに到達したのである。彼は喧噪を逃れて、彼の書物に没頭した。彼は聖職者としての任務の大部分の時間をかけて丹精込めて説教の原稿を書いたが、どうしても記憶出来ない場合か、その説教が絶対に正確な事実や数値を含んでいる場合以外、彼は決して原稿を説教壇に持っていかなかった。彼は、彼の記憶のメモ帳が、見えない筆によって「心の内に書き記す」能力についてよく話したものであった。彼の説教の冒頭と締めくくりの文は、目的の形式でなされた。
 彼はよくこういっていた、「第一声から集会に勝つことが非常に重要なのだ。」と。そして彼は、いかに語るべきかと、いつ止めるべきかを心得ていた。それでジェファーソンは、月曜日には日曜日の説教についての前の日に語ったとおりの速記を、速記者に要求することが可能な講演の方法をマスターしていた。彼の前に立つ講壇の補助者が、彼の説教の記述について語るのである。「構造が単純で直裁に語るために、ジェファーソン博士の説教は、それを聞いた私たちの記憶に長く残り、大きい力があったことを気づかさせたのである。ジェスチャーと動きが小さいことが彼の講演の特徴であった。それでしばしば説教者の手は開いている聖書の最上部に置かれていた。「彼の会衆の誰が、彼の精神が白熱して燃えていたときさえ、今までに彼が叫ぶのを聞いたであろうか?
 しかし彼の声は充分で力に満ち、ほんの一、二節のことばを用いて極めて明確な考えで語ったが、それは決してはしょったり、十把一絡げにしたようなものではなかった。
そしてテキストから離れることなく要旨に沿って説教が進められ、変わることのない理由の明確さ、論理、強調、訴えをともなっていた。
 それらは司法研修生からはじめて、牧師となり、信仰の解説者また擁護者となり、神の語り手となった人物に期待されるに相応しいものであった。」*1

 ジェファーソンには劇的なものがなかった。彼の説教法は直裁かつ単純であった。かれはこう述べたことがあった。「決して雄弁であろうと努力してはいけない。神があなたの一生の間にあなたに半ダースの時間、あなたを雄弁にさせておくかもしれない、しかし、もしあなたが自分からそうであろうとするなら、あなたが雄弁であるはずがないことは確かである。」
それは人の節度ある真摯さを示す。
 彼はしばしば1時間説教した。彼はかつて説教者の一団を前にしてブロードウェー大会堂は、説教者が自分の主題を充分述べるに必要なだけ長い間説教する所であったと言った。ジェファーソンによれば、文体というものは、それが見えなくなるとき完ぺきなのである;それは正に彼自身の表現様式であった。雰囲気に頼らず、注意をそれ自身に引き付けない。それは単純で、人間的で、誠実で、それでもなお興味をかき立てる。文は短くて、簡潔であり、かつ思想が詰まっている。リン・ハロルド・ハウは彼の表現様式についてこう述べている。
「あたかも炉ばたでの会話であるかのように、彼は彼が明確な考えを悟った過去や彼の作業によってもたらされた表現の啓発力へと読者をつれていくのであった。」*2
ジェファーソンは彼の説教と著作を特徴づける活力のある流ちょうさに加えて、探索を完成するために絶え間なく骨折った。彼は言った。「説教はバラである。テキストはつぼみである、そして説教者は、つぼみに息を吹きかけて、折りたたまれていた花弁を空気中に開き、芳香で神の聖人たちが座っている所を満たさせる。」
 説教壇準備の彼の方法について質問したエドガー・ドゥ・ビット・ジョーンズからの手紙への答えで、ジェファーソンはこう回答した。「私自身を準備することによって、私は私の説教を準備する。自己準備は説教者がしなければならない最も難しい仕事である。もし彼が彼自身を準備しないなら、ほかに彼が何をするかはほとんど重要ではない。けれども私は同じく私の説教に取り組む。私はいつも説教の上で仕事をしている。私は目を覚ましている時間全部、そして恐らく眠っている時まで説教について働いている。フォードが自動車を作るとか、あるいは建築家が超高層ビルを建てる時のようにして、私は説教を作らない。私の説教は作り出された製品ではない。それらはむしろリンゴ入りダンプリング(果肉入りゆでだんご)のようである。
私は通常同時にポットでそれらの半ダースを持っている。私はポットの水が沸騰している状態にする、そしてときどき私はどれが次に提供するべきであるか見るためにフォークでつついてみる。私の説教を顕すよい姿は、花である。私の説教は成長する。それは(花のように)開く。私は決して説教を「揺り起こしたり」はしない。正しい種類の説教は、説教自身が立ち上がる。もし私が土壌と種と太陽と雨を供給するなら、説教はそれ自身で成長するであろう。」3)
 ジョ-ジ・ジャクソンは、随筆「郊外の説教」中にこう述べている、今日の殊にアメリカにおける講壇の重大な誤りは、郊外の説教である。その中で彼が意味していることは、「その中心、首都たるべきものでなく、郊外や町はずれのキリスト教信仰」が説教されており、「人生の低道徳性に関しては大いに語るけれども、キリスト教の福音の偉大なテーマについてはほとんど語らない」ということである。彼はこう続ける、もしウェスレイ、ニューマン、デイル、スポルジョンそしてリッドンらのような説教者たちであったら、今日の講壇に共通のひとつのことばを提供するであろう、それはすべての偉大な説教の陰に偉大な福音が存在しているということである。*4
 名前のそのリストに、彼はチャールズ・E・ジェファーソン を加えたことであろう。
-「教理と実践」あるいは「新しい護教運動」のような-ジェファーソンの説教に関する発刊された書物のどれでもおとりなさい。そうすればあなたは、彼が人生における思考と実行に関する深い重要性な信仰の基本的な問題を扱っているのを見いだすことでしょう。
 「教理と実践」という本の中で、彼は次の50年間には、これまでの50年にされた説教よりはるかに「一致」の教理について説教がなされるであろうと予想している。「私はあなたがたのうちの一部の人は、それに身震いするであろうと想像する。あなたがたは教理についての説教が好きではないと言う。あなたがたは実用的な説教を望んでいる。では、一体、実用的な説教とは何であろうか? それはすべてのクリスチャンの第一の目的である人を神との和解に導く説教であり、その目的を達成する説教である。」
 1900年の経験は、神に心を和解させるのは教理上の説教のみであることを証明している。
 もしあなたが本当に実用的な説教を望むのであるなら、実用的という名に値している唯一の説教は、素晴らしいキリスト教の教理に関する説教である。 「教理上の説教だからといって古風である必要はない-それは新鮮であるかもしれないし、それは人々が生まれたそれぞれの時代の言語でなされるかも知れない。またイラストやイメージと数字や解析の仕方などもそれぞれの時代の最新のものであるかも知れない。そのような説教がされるときはいつでも、素晴らしい基本的な教理に関する説教同様、スリル満点、高揚的かつ力強い説教であって、それ以上のものはないのである。」
 ブロードウェー大会堂にいつも出席する人ならだれでも、キリスト教の教えに関する試験にも、今日の生活上の規則に関する応用についても合格することができたという。ジェファーソンは「初代の人々の静かな会話」という彼エッセイの中で、彼の時代のアメリカにおける説教の多くを批評した。「明るいもの、正真正銘のもの、助けになるもの、がたくさん語られる、しかし霊的な情熱が欠けている。礼拝が永遠ではなく、僅かな時間しかなされない。説教の雰囲気はシナイあるいはカルバリのそれではなく、教授室とか編集者の書斎の雰囲気である。知識は教えられ、感情はかきたてられる、しかし良心は動かされず、また、裁きの座の前に立って判決を聞かない。ヘブルの預言者の「主はかく言い給う」という古い調子が欠如している。」
 「新しいブロードウェー大会堂が1908年に建てられたときジェファーソンは、それが聖霊に強調を置いているインスピレーションを与える教会、男も女もその心に聖霊の感動を受け、かれらの愛を育てて、それに共鳴を広げるよう奮い立たせる教会、とりわけこの上なくクリスチャンの品性を形成することについて配慮する教会であることを望むと言った。
 彼はすべての真実に聖霊に導かれることを意志する人なら誰でも自由に上れる講壇であることを望んだ。彼は自分の説教の最先端に十字架があるべきだと信じると同時に、その時代の社会問題に福音が深く関係していると考えている福音主義者であった。彼の説教は、思考を刺激し、魅力があり、短く単純な文体、かつ写真のように描くことばによって、印象深いのであった。
エドガー・ドゥ・ビット・ジョーンズは、30年にわたり国の主要都市でジェファーソンが行った説教についてこう指摘する。「礼儀と、尊厳と、説教の標準などの繊細な理想を保ちつつ、決しては民衆に迎合しようとはしなかった。」と。*6
 彼は決して扇動的でも劇的でもなかったが、彼の説教は常に新鮮で、刺激的で、よく考え出されたもので、そしてタイムリーであった。ジェファーソンの本「熱心な人々との静かな会話」の中に、「説教を殺す方法」と題を付けられた章があるが、それは説教の働きについての彼の高い視点を明らかにしている。「新しい求道者がはじめて教会に来た時、礼拝の後最初にされる質問は、あなたはどのくらい説教が好きですか?である。説教の霊的効果がそのように貧弱なものであることは驚くに値しない。信徒が説教者によって蒔かれた神のことばによる信仰の働きのフォローアップをしなければならないと悟るまで、説教から何が期待されるでしょうか?
 説教は遊ぶためのおもちゃ、あるいは会衆のすべての人々が裁きを逃れることができるという雄弁な美しいことばの断片ではない。説教は絶妙な1片の、騒がしく論じられ、人文科学の規則によって判定された文学的な骨とう品ではない。それは、すべての自薦の批評家が、自分のフォークでそれを刺したり、あるいはそれを賞賛したり非難したりする果実入りゆでだんごではない。説教は厳粛な警告、義務へ招集する軍隊ラッパ、炎の叱責、大いなる誤りに対する熱意の鉄槌、あるいは高い努力への奨励、威厳ある真理の明りである。」
 1910年に、ジェファーソンは教会の建設という表題の説教で講義(Lyman Beecher Lectures)をしたが、それを多くの人々が彼の最も良い本であると思った。新約聖書における教会建設の思想が講義のはじめの主題である。そしてこの思想は展開され、続く講義で次のように豊かにされる:同胞教会の建設、個人の建設、気質と気分の建設、王位の建設、聖なる公同の教会の建設、建設の計画、そして教会建設者の建設がそれである。
 ずっと後になってから英国信仰新聞に公けにされた論文「私たちの必要とする説教者の種類」に、ジェファーソンは次のように書いた。「私の判断では、今日世界が必要としている説教者は、何よりもまず第一に建設者である。彼は創造的な心を持っていなくてはならない。彼は建設のために才能を持っていなくてはならない。彼の才能は建築術でなければならない。私たち説教者は、めちゃめちゃになった世界を再構築する使命を神から与えられている。今は否定の時ではない。もし誰かが語るべき確かなものを何も持っていないなら、その人は聖職者にならない方がよい。」*7
 彼はあらゆる種類の本を読む人であったが、ジョン・ウェスレーと同様に一書の人であったと言うことができる。彼は、人々がすべての仕事を担うことができる見識のある心を持ち、霊的かつ道徳的現実に生きるように応答することをもたらした。彼の講義(Beecher Lectures)に彼が語った言葉を引用することによって、彼は決して程度が低い説教を説き聞かせなかったと言われた私たちの彼についての研究を終えよう。
「説教はキリスト者の霊的いのちの血である。説教者は説教中に死ぬ。講壇はゴルゴタであり、そこに説教者は世界のために彼のいのちを捧げる。」*8

Notes
*1 Edgar De Witt Jones, The Royalty of the Pulpit, p. 74.
*2 Lynn Harold Hough, Adventures in the Minds of Men, p. 62.
*3 Edgar De Witt Jones, American Preachers of Today, pp.59-60.
*4 George Jackson, Reasonable Religion, pp.21-22.
*5 C.E.Jefferson, Doctrine and Deed, p. 51.
*6 Op.cit.p. 57.
*7 The Christian World, June 13, 1929.
*8 The Building of the Church, p. 287.

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