同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第39回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.2 預言者(つづき)

預言者の職務について、引き続き考えてみましょう。
 故荒川聖泉キリスト教会山本岩次郎牧師は説教の中でこういう例話を話していました。「ある消防署長が、火災の現場で隊の指揮をせず、自分が飛び回って消火に活躍した。しかし彼は首になった。彼は自分がすることは何か分かっていなかった。」
 ジェファソンは著書「教会の建設」の中でこう言っています。「ある説教者は、自分が何を建設しなければならないかを知らない。また別の者は、自分が建設すべきものを知っているが、その方法を知らない」と。
 それは、私たち一人ひとりが警戒すべき事柄です。私たちは神に任じられた職務を理解しているでしょうか。そのために、必要な手段、方法を知っているでしょうか。神は私たちに、既に職務をお与えになっています。ですから、私たちは、目を遠くに向けるのではなく、既に自分が与っているものに向けるべきです。問うてみましょう。私は、男ですか、女ですか、学生ですか、職業についていますか、結婚していますか、子どもがいますか、年齢はいくつですか、病気ですか、健康ですか、貧しいですか、豊かですか、生活上どんな問題がありますか、教会の中でどんな働きをしていますか、役員ですか、教会学校の教師ですか、音楽、その他の教会の活動を担っていますか・・
・・。
 今現実に生きている生活の場に様々な課題があります。それを信仰をもって取り組まなければなりません。そして、私たちは例話の消防署長のように、自分の職務をまちがえないようにしなければなりません。時には教会の集会に座るだけでも、大切な職務を果たしていることになりますし、出て行って外のことをすることが神が任命された職務であることもあります。
 また、私たちの職務は一日で終わるようなものではありません。家を建てるのに、それが小さな木造建築であるなら、建て前あるいは棟上げといって、柱と屋根の骨組みを建て上げることを一日でしますが、それは、骨組だけのことで家の完成ではありません。
 私たちはジェファソンの言うように、何をすべきかを見出すとともに、その手段方法を知り、それを営々と続けなければなりません。自分に似たような環境にいる人は、似たような課題を持っています。その取り組み例を知ることは、その手段方法を知る重要な手がかりになります。その意味でも、私たちの隣にいる人は私たちの同労者です。
 私たちはキリストの預言者に任じられました。ではキリストの預言者は、何がその職務なのでしょうか。これまでその内容を旧約の預言者を通していくつか考察してきました。最後にもうひとつ付け加えたいと思いますが、それは「名もない預言者」たちについてです。私たちは、教会の外の世間にも、キリスト教界の世界にも、ほとんど名を知られていません。私たちの接する極狭い範囲の方々だけがその存在を知っています。「名もない預言者」にぴったりです。
 名もない預言者が聖書のどこに記されているか、少し拾い上げてみました。
士師記 6:8、サムエル記 I 2:27、10:10、19:20、列王記 I 11:29、13:1、13:11、18:4、20:13、20:28、20:35、列王記 II 4:1、4:40、9:1、23:2、歴代誌 II 25:7などざっと目を通しただけでもこんなにたくさんでてきます。サムエル記 I 10:10は、サウルが出会った預言者で彼らは集団でした。また列王記 I 18:4にイゼベルの迫害からオバデヤが救出した預言者は100人と記されています。これらの記事から名のない預言者たちが多数いたことが分かります。
 彼らは何をしていたのでしょうか。それをかいま見ることができる記事があります。
 「預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。『あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。』」(列王記 II 4:1) エリシャに困窮を訴えた婦人の夫は、預言者で、貧しい暮らしをしていたこと、それにもかかわらず、神を畏れることを人々に示していたことが分かります。
 一方、預言者たちのなかに好ましくない人々がいたことも分かります。列王記 I 22:6、ネヘミヤ記 6:14、エレミヤ書 28:5などを参照してください。旧約の終わりに近づくにつれ、預言者たちにも残念な評価がされなければならない事態がひろがりました。
「実に、預言者も祭司も汚れている。わたしの家の中にも、わたしは彼らの悪を見いだした。」(エレミヤ書 23:11)、
「イスラエルよ。あなたの預言者どもは、廃墟にいる狐のようだ。」(エゼキエル書13:4)
「預言者たちについて、主はこう仰せられる。彼らはわたしの民を惑わせ、歯でかむ物があれば、『平和があるように』と叫ぶが、彼らの口に何も与えない者には、聖戦を宣言する。」(ミカ書3:5)
というような記事は枚挙にいとまがありません。
 名もない預言者、キリスト者、私たちはこれらの記事に衿(えり)を正し、神を畏れて生きようではありませんか。
(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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