同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

覚悟を決める

石井 和幸

「別の人はこう言った。『主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。』するとイエスは彼らに言われた。『だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。』」 (ルカ9:61-62)
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ12:29-30)

 同労者1月号において、KGK(キリスト者学生会)の卒業生有志が、「女子会」を開いていることを紹介しました。
 先日、その「女子会」・・・仙台市内在住でKGKの卒業生である独身の姉妹方が集う会・・・が、少人数ではありますが今も毎月欠かさず開かれていることを耳にしました。仙台というところは、個人主義がはやるような土地柄で、超教派の集会を企画してもなかなか人が集まりにくく、継続しない場合が多くあります。そういった中でこの「女子会」が継続している秘訣は何なのだろう?とKGKスタッフの間で話題になりました。 そのことに対しKGKの主事はこう答えました。「中心となっているK姉が、参加しているメンバーをよく牧会しているからでしょう。K姉にしてみれば、『そんな・・牧会だなんて、しているつもりはありません』と言うでしょうが、彼女が参加者の話をよく聞き、ともに祈り、心を配り、荷を担おうとするのです、それで参加者は心を開いていくのでしょう。」
 昨年秋に開かれた東北地区KGKOBキャンプ、K姉は直前に体調を崩しました。私は彼女がキャンセルすることを覚悟しました。 そのキャンプは教会行事ではありませんし、キャンセル料が発生するわけでもありませんから、無理をする必要はありません。けれどもK姉はキャンプに参加しました。私は彼女に聞きました。「Kさんよく来たネ。体調は良くなりましたか?」 すると彼女は笑顔でこう答えました。「石井さん。実は忙しいし、体調も良くはなってないんです。でも、決めていたことですから。ここに来なきゃって。」 そして、キャンプのプログラムが終わり、解散してからもスタッフと一緒に最後まで残って後片付けをして下さいました。 彼女は、女子会にしても、KGKのキャンプにしても、「参加する」と覚悟を決めたからには、お客さんで終わることなく、最後までともに荷を担う姉妹であります。決して何か見返りを求めて行動しているのではありません。無意識に、自然に、心から神と人に仕えています。何故それが常にできるのか?それは、神によって、教会を通してそのような器に備えられ、信仰が育まれてきたのです。
 私は教会の礼拝や諸集会に、2歳の娘と一緒に出席しています。大人と一緒の集会で、母子室はありませんから、静かに集会を守らせなければなりません。家内とともに心がけている大切なことは、主に仕える子を育てる「覚悟を決める」ことです。具体的には、(集会で静かにさせること、それができない子どもを叱るのは可哀想だ)と決して思わないこと。子どもにとって今は分からないかもしれないが、神を礼拝する雰囲気、歌われる讃美、祈り、メッセージのなかに置くことが、イエス・キリストの十字架のもとに子どもを連れて行く一歩となることを親が自覚し続けることです。 親である私たち夫婦が少しでも(可哀想かなあ・・・)と思うと、子どもはそれを察知して、親と駆け引きを始めます。親が主に仕える覚悟を決めないでいては、子どもは迷ってしまいます。 私の両親も、主の前に覚悟を決めました。親は迷うことなく私にイエス・キリストは救い主であり、十字架によって罪が取り除かれてこそ本当の喜びがあることを鮮明に私に伝えました。 自分が親になってみて、娘に福音を伝えるのは生半可な覚悟では出来ないし、課題に取り組みながら主の前で夫婦で祈りつづける必要性を実感しています。
 先月、私たちの教会で結婚式が行われ、新しいクリスチャンホームが生まれたことを大いに喜びました。 主の前に覚悟を決めたひとりの姉妹を、教会は大きな喜びと感謝をもって迎え入れることが出来ました。主の前に「覚悟を決める」とき、実は多くの祈りが献げられていること。背後で背中を押し、涙と喜びをともにしてくださる方がいること、イエス・キリストご自身がともにくびきを負ってくださることを、忘れることなく歩んで行きたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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