同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— あるだけを全部 —

森田 心

「みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(マルコ 12:44)

 教会学校の1年のはじめは、幼稚科、小学科、中学科、高等科の生徒達の合同集会で10人の生徒達が今年与えられた聖言と愛唱歌、そして目標を話しました。1年というものはととえも大きな時間だというのが、この生徒達の言葉の変化の中に強く感じさせられました。そして、その最後に山本盡子婦人伝道師から生徒達に聖言とおすすめがありました。レプタ銅貨2枚を献げた貧しいやもめの話から、両手に1枚ずつ握りしめていたその手を開いて神様の前に献げたこの女性のように、自らの持っているものの小ささを思い悩むのではなくて、あるだけを全部献げられる信仰をもって進んでいきましょう。きっと素晴らしい神様の祝福が与えられますから・・・と。
 私はもう3月になろうとしている今も、この先生のお話と、その1月のはじめの日曜日に小学生の姉妹が「今年は伝道集会に友達を連れてきます」と言っていた言葉が心に残っています。その告白を神様はどんなにか喜んで下さることだろうかと。
 あるだけを全部と言われた、その信仰に立ちたいと願いつつも、その一方でそうは言っても、と思っている自らの姿を見せられます。そして、これは若い方々がやってくれるだろう。私も少しずつ任せていけば、譲っていけばいいんだ、という思いを持つようになっていました。若い時の、救いをいただいて歩み出した時にはどんなことでも神様の働きに立ちたい、御用が与えられたならば、喜んでやりたいと願った頃のことを思い出しながら、福音の働きの為に、又祈りを持って用いて下さることの幸いを感謝して歩みをしていきたいと思いました。
 今年も、伝道の働きの話し合いがもたれて、計画が示されました。すべての働きの中に直接立つわけではありませんが、その働きの内に自らも在るものとして、立っていきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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